初春の福井と敦賀をめぐってきました

 少し前ですが、春を感じたくなり4月に「福井と敦賀」をめぐってきました。

 

 JR福井駅は真新しく立派な駅舎で、駅の裏側にはフードコート「越前市場」や広大な「市立桜木図書館」がある近代な多目的ビル「アオッサ」も立派でした。

 

福井城跡.jpg JR福井駅からすぐのところに、初代福井藩主結城秀康が築城し270年間の松平家の舞台となった「福井城址」があって石垣とお堀が残っており、十分に存在感を感じさせてくれました。

 

 

 

 

足羽神社.jpg 福井市の自然のシンボル的存在として市民に愛されている「足羽山」は、四季の草花や木々が美しい散策コースで、「足羽神社」本殿前にある天然記念物、樹齢350年のシダレザクラは、美しく清々しい桜の花をいっぱいにして、しばし来訪者の足を止め感嘆の声を上げさせるだけの迫力がありました。

 

 

 

 中心部を流れる足羽川も福井市の代表的名所です。「足羽川桜並木」は「日本さくら名所100選」の一つで、きれいに整備された川沿いの2.2kmにソメイヨシノが600本、一本一本がきちんと手入れされた豪華な桜並木は素晴らしい景観です。市民が自慢するだけのことはあるみごとな桜の名所で、お花見客が地元市民だけでなく全国から来訪するのも納得できました。

 

柴田勝家・市の墓.jpg 福井市内にある天台宗の「西光寺」は柴田勝家の菩提寺ですが、狭い境内の隅にひっそりと「柴田勝家とお市の墓」がありました。ご存知の通り、織田信長の重臣柴田勝家は、賤ケ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れ天正11年(1583年)4月に北ノ庄城が落城、勝家とお市は自害して果てました。猛将とよばれた戦国の武将柴田勝家と織田信長の妹であるお市を思いつつ、手を合わせると、何か侘しさを感じ、さみしい気分になりました。戦国の英雄をもう少しきちんとした形で祀ってあげられないものでしょうか。

  辞世の句は、勝家が“夏の夜の 夢路はかなき跡の名を 雲居にあげよ 山郭公”お市が“さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな”で、ふたりの仲はとてもよかったことを感じさせます。

 

 福井からの帰りに敦賀に立ち寄りました。日本海側最大級の魚市場「日本海さかな街」でおいしいお寿司を食べて、魚を買って帰ろうと思ったからです。

  JR敦賀駅は大きくて立派な駅舎でびっくりしました。北陸新幹線が金沢から延伸されることを見越した駅づくりなのだとすぐに気づきました。

 

 敦賀駅から「日本海さかな街」行のバスの本数は平日で4本と少なく、タクシーで15分ほどかけて行ってみましたが、これは期待外れでした。地元の水産業者が70店舗ほど集積した狭い魚市場でお客も少なかったのですが、試食を勧めてしつこく客引きをする店舗ばかりで、押し売り感が強く、とても買いたい気分にはなれませんでした。商品もどの店もほとんど同じような品ぞろえで特徴がなく、値段ばかりが高くてがっかりしました。買い物を楽しむというより呆れて白けてしまい、個人客が行くところではないと感じました。

 この施設内にお寿司屋さんがあったので入りましたが、こちらも期待するほどの味ではなく、お昼なのにふたりで8千円位と、値段ばかりが高いと感じました。やはり、もう一度来たいと感じさせてもらえませんでした。

  お客より自分たちの都合を優先していることが見えてしまうような事業運営、顧客満足を軽視した接客や売り方では、衰退の道に向かわざるを得ないと思われます。旅行業者と提携して観光バスを誘致、団体客からの購買だけを追求するようなビジネスモデルでは、お客様の心はつかめないことに早く気づいてほしいものです。(観光ビジネス研究会 加藤 弘治)

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Q1: 柴田勝家は、織田信長の家臣ですよね。

A1: 戦国武将の典型的な猛将といわれていますが、織田信長の重臣として、忠実に仕えた家臣、おそらく不器用で一本気でありながら、心の優しい男だったのではないでしょうか。

 

Q2:ところで、織田信長の妹“お市”は、夫婦だったのですか?

A2:お市の方は戦国武将である織田信長の妹です。お市の初婚相手は、浅井家の浅井長政で、後に織田信長により攻め滅ぼされましたが、長政とお市の間には3人の娘(茶々、初、江)が誕生しています。その後お市は織田信長の重臣である柴田勝家と再婚しました。勝家はお市と3人の娘を大切に庇護したといわれています。

 

 

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