畝傍山界隈よくばりハイキング

畝傍山.jpg 3月の初め、「第二回奈良食祭」が奈良県橿原公苑で催されるというので見物に行きました。手元のガイドブックによると、この公苑は大和三山の一つ、畝傍山の近くにあり、周囲には橿原神宮をはじめ多くの名所旧跡があるので、もし時間があれば近隣を歩くのもいいなと考えました。地図は目的地駅に行けば何かあるだろうとほとんど下調べもしないまま、小型の簡便な『奈良県の歴史散歩』というガイドブックのみ携えて家を出ました。当地の駅にいけば備え付けの「駅近隣名所マップ」があるだろうという期待もむなしく、(考えが甘かった)、結局、近所の人、通りすがりの人と案内看板、標識を頼りに歩くことになりました。

食祭会場.jpg  近鉄の「畝傍御陵前」駅を降りると「奈良食祭」の幟(のぼり)に誘われて徒歩10分ほどで食祭会場に着きました。50店ほどが出展している食祭会場をひと通り見て、「南部せんべい汁」に軽く舌鼓を打ち(奈良の食祭に遠い東北からわざわざ出店していました)、時間を見ると11時30分、まだ十分に時間があります。

 案内看板の地図により、この界隈には第一代の神武天皇に始まって第四代までの天皇陵が近辺にあると知り、天皇陵めぐりをしようと決めました。一説によると第二代綏靖天皇から第九代の開化天皇については欠史八代と呼ばれることもあり、古事記や日本書紀に名前は載っているものの具体的な事績が残されていないので、何らかの理由でこの八代は架空に作られたのではないかともいわれており、その陵墓について興味が湧いたからです。

イトクの森古墳.jpg 地図の上では一番近そうなのが懿徳(イトク)天皇陵だったのですが、道がわかりません。食祭会場の案内所で道を訊ねましたが、あっちだ。いやこっちだろうと、要領を得ない。会場を出て西に向かい125号線(緑豊かなきれいな広い道路です)に出るその手前の公苑事務所の前で地元のお兄さんに聞くと、即座に「懿徳天皇陵ですか?それならこの道を渡って橿原神宮の参道の一本北の道を10分ほど行くと進むとありますよ。」とさわやかな調子で案内されました。その通りに歩くと「イトクの森古墳池田神社」と書いてある。でも懿徳天皇陵とは違うじゃない!

 周囲を見渡すと、さきの大戦で散った予科練性など若者たちの英霊の慰霊碑がある「若桜友苑」がありました。

 ビニールのショッピングバッグをぶらさげた年配の地元の人らしき男性に懿徳天皇陵への道筋を再び訪ねると、「かなり回り道になりますけど」といいながら、「このあたりの道はちょっとわかりづらいのですよ。だから、私はこのあたりの地図を作ったところなんです。持ってきてあげればよかったな。少し先まで案内しましょう。」と、狭い道を大谷東日女神社まで5、6分わざわざ案内してくれました。「これから先は、標識があるから多分大丈夫です。迷いそうなら、人に訊いてください。」と言って元の道を戻っていきました。

安寧懿徳.jpg このあとは、畝傍山頂に登って耳成山を望み、西裾野にある畝火山口神社に下り、山の西南裾に位置する第三代安寧天皇陵と第四代懿徳天皇陵さらに南裾の橿原神宮を通り、再び食祭会場を通って、北北東の第二代綏靖天皇陵最後に、少し戻って神武天皇陵、そして最後に橿原考古学博物館と畝傍山周辺の名所旧跡殆どを廻るという仕儀になりました。

 特に印象に残ったのは、期せずして畝傍山の山頂に登れたこと。それに、久方ぶりに橿原神宮の壮麗さにふれたこと。橿原考古学博物館で説明員の方から飛鳥を中心とした教科書には出ていない活き活きとした古代歴史話を聞けたこと。

 終わってみれば、畝傍山に登頂縦断して、そのすそ野を4分の3周したわけで、足は疲れましたが、予想外の楽しい旅になりました。

 もとはといえば公苑事務所の前で懿徳天皇陵への道筋を間違えて教えてくれた若者に始まり、イトクの森で出会った正しくガイドをしてくれた親切な男性のおかげでした。この男性によると「土地の住人でも、このあたりの名所旧跡を知らない人は案外多いですよ」とのことでした。旅先で地元の人と触れ合いながらうろつくのも楽しいですね。(観光ビジネス研究会 河合 眞起人)

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Q1:畝傍山の周辺に天皇陵がかたまっているのはなぜ?

神武天皇陵.jpgA1 : 第一代の神武天皇が九州から東征して大和を平定し、当時の先進地域の一つである橿原の地で即位し、支配権を確立したと考えられており、現在の橿原神宮の境内に宮があったといわれています。

 第二代綏靖(すいぜい)天皇のときには、橿原市の隣の御所市に宮があり、第三代安寧天皇のときには橿原市四条の北に、第四代懿徳天皇にときには同市大軽町にそれぞれ宮を置いたという説があり、いずれにしても畝傍山の近辺で政治を行ったことによると考えられます。神武天皇陵は一番立派でした。ちなみに橿原神宮は、明治23年にこの地方の篤志家達の努力で神武天皇を祀る神社として創立されました。2月11日の建国記念日は大変にぎわうとのことです。

 

Q2 橿原考古学研究所付属博物館ではなにが面白かったの?

橿原考古博物館.jpgA2 : 4代の天皇陵を訪ね終えて、駅に戻る道で考古学研究所付属博物館の看板が目に入ったのが15時でした。今からでも1時間はみられるということが分かって入場しました。

 この博物館では、奈良県下で発掘された旧石器時代から中世までの文化遺産を中心に展示しています。入ってすぐ15分の案内映画を見て奥に進むと大和平野のジオラマ。さらに中には大和の石器展。中には年配者集団が議論しながら見学していました。サヌカイトや流紋岩など大和盆地には、石器の素材が沢山あり、かなり石器が進んでいたらしいなどと考えながら奥に進むと、説明員が居て説明を聞くことができました。展示物を見ながら、神武帝の東征時のエピソード、江戸時代の学者が決めた御陵名と埋葬者の関係が結構いい加減なものが多いらしいとか、御所(ごせ)遺跡のすごいこと。葛城氏は相当の力を持っていたらしい。ぜひ行ってみてくださいとのこと。などなど、先ほどまでにぎやかにしていた見学者たちが去った後、贅沢な時間を独り占めしてしまいました。発掘品だけを見ていたのでは、よほどのマニアでない限りは「ふーん」で済んでしまうかもしれませんが、説明を聞いていると発掘展示物が活き活きと見えてくるから不思議ですね。

 

Q3 ところで、肝心の「第二回奈良食祭」の方はどうだったの?

A3 : さっき「南部せんべい汁」を食べたって言ったでしょ?実は、畝傍山からの帰り道、もう一度食祭の会場を通った時に、今度は「奈良のものを食べましょう」と思って、「大和牛丼」というのを食べることにしました。

 テーブルコーナーがあるので、そこで発泡スチロール容器の牛丼を食べ始めたら、隣に60才半ばくらいのおじさんが座ってバターラーメンというのを食べ始めた。それで僕に話しかけてきた。「その牛丼、どうでっか?500円?もひとつみたいやな。わしも牛丼が好きでよう食べるけど、街の280円のはうまいなぁ。あれはエーで。」

 僕の食べている大和牛丼は、ご飯も少ないし、ペラペラ肉が申し訳程度に載っている。味はちょっと濃い目。しかしどうも貧弱すぎる。

 「わしは、今日鰹節の店を出しとんのやけど、(このおじさんは出店者だったのです。)よう売れてまっせ。品物が切れたらいかんので、2回家に帰って補充したんや。きょうびのお客さんは、目や口が肥えてるさかい、変なものだしたらそっぽ向かれるわ。とくにこんな祭のときは、エエモンを安く出してお客さんによろこんでもらわんといかん。」

  僕もその通りだと思いました。ご当地食祭となれば、地域を食で宣伝する場でもありますから、まずは、特徴ある美味しさがほしい。そして値段もそこそこでなければならない。そうでないと、奈良の食べ物は、まずい、高いということを宣伝することになる。この食祭では、値段で言えば一品もう50円から100円くらい安いくらいが丁度よいのではないか、と思えるような店が多かったです。いかにもこれで儲けてやろうという魂胆が見えているような・・・。これでは、「また行こうかな」っていう気分にはなりません。

 ちなみに、一番お客さんが並んでいたのは、アユの塩焼き売り、青森のリンゴ、地元の野菜のようでした。

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