プチ観光−神田明神

今回も仕事の合間のプチ観光です。御茶ノ水駅(東京)の近くに神田明神があります。建物などがとっても賑やかで、江戸っ子の気質が感じられます。

写真1.jpg

 

神田明神境内に入ってまず目につくのは、電動式のおみくじと銭形平次の顔出し看板です。

写真2.jpg

その近くには、「だいこく様」と「えびす様」がいます。

そこから御神殿をお参りした後、裏へと右から回るとそこには銭形平次の石碑とその隣に八五郎(通称:がらっ八)の石碑もあります。

写真3.jpg

銭形平次(銭形平次捕物控)は、野村胡堂による小説で、映画、テレビ時代劇、舞台作品として人気がありました。神様以外にもなんでもありの感じです。江戸っ子は、新しい物や楽しい物をどんどん取り入れるのでしょうね。

ちょこっと立ち寄るには良い観光スポットなので、是非行って見てください。

(観光ビジネス研究会 岡村 善裕)

 

travel.jpg

Q1.ところで、御祭神は?

A1.一の宮は大己貴命(おおなむちのみこと/だいこく様)、二の宮は少彦名命(すくなひこなのみこと/えびす様)、三の宮は平将門命(たいらのまさかどのみこと)です。

 写真4.jpg

 写真5.jpg

Q2.へ〜。平将門も神様として祀られているのですね。

A2.そうです。「平将門の乱」で敗死した将門の首が京から持ち去られて、神田明神の近くに葬られ、その首塚は関東地方の平氏武将の崇敬を受けました。1309年に神田明神の相殿神とされ、平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれています。なお、神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけないと言い伝えられています。それは、平将門を討伐するため、僧・寛朝を神護寺護摩堂の不動明王像と供に成田山新勝寺へ使わせ乱の鎮圧のため動護摩の儀式を行わせたことに由来します。

 

Q3.有名なお祭りがあったよね?

A3.はい、神田祭です。神田祭は2年に1度行われ、江戸時代には江戸城内に入り将軍が上覧したことから「御用祭」や「天下祭」といわれていました。また、「日本三大祭」。「江戸三大祭」の一つとされています。

今年2015年5月は2年に1度の本祭の年で、ご還座400年という節目の年でもありました。

オランダ プチ観光

Dutch_1.jpg 今回の仕事先はオランダでした。スキポール空港に降り立って、オランダで最初に思ったのは、”美男・美女ばかりで、みんな背が高い”ことです。空港から電車で移動ですが...スキポール空港と電車のホームは直結しています。空港の構内で1・2番線と書かれているエレベータで降りると、そこはホームです。改札がない?予め特急切符を手配していたので、そのまま電車に乗り込み、車内で車掌に切符を見せれば、それでOKでした。地元の人は、ICカードを持っているようで、ホームに続く通路で、“ピッピ”していました。でも、そこには駅員さんの姿は見かけませんでした。電車は海外らしくカラフルで、ホームにはベルリン(ドイツ)行の電車が...如何にも国境をあまり感じないEUって感じでした。

 

 

 

 

 

Dutch_2.jpg

  始めの3泊は、オールザールのHet Hulsbeekにあるリゾート地のロッジ感覚のホテルでした。林の中のホテルで、多くの小鳥のさえずりが聞こえ、野兎もはねていました。オランダの家の多くは、ホテル同様にレンガ造りで茶系が多いです。そして、屋根にはダッチタイトと言われる日本の煉瓦のようなものでおおわれています。

 

 

 

 

 最後の2泊は、アムステルダムでした。半日フリーの時間が出来たので、早速、プチ観光です。まずは、アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum Amsterdam)へ...まずは、美術館の近くの広場で、ミッフィーがお出迎えでした。

Dutch_3.jpg

 そして、足早に約2時間をかけて、牛乳を注ぐ女(フェルメール)、小路(フェルメール)、夜警(レンブラント)、ゴッホの自画像などを、見て回りました。周りの人が美術品の写真を撮っているので、私もストロボをオフにして思わず撮りまくってしまいました。

 

 Dutch_4.jpgその後、アムステルダムの運河クルーズを楽しみました。約70分程度で世界遺産であるアムステルダムの街並みを楽しめます。船は背が低く、水面からさほど離れていない橋をくぐっていきます。クルーズで初めに目に入るのは、アンネの日記でおなじみのアンネ・フランクの家(アンネが隠れた家)です。中に入るには相当並ばなければならにようです。アムステルダムの家の屋根は特徴的で、ずっと見てても飽きません。その理由は、アムステルダムの家は、まだ番地がなかったとき、屋根でその家(住所)を特定していたようです。だから、屋根の飾りは、家ごとに特徴のあるものになっています。さらに、街のあちらこちらの高い塔があり、そこには時計がついています。とても雄大な感じです。

(観光ビジネス研究会 岡村 善裕)

 

 travel.jpg

Q1:オランダ人は背が高いの?

A1:オランダ人は、男性の平均身長が180cmセンチ以上あり、世界一が高いと言われています。そのことを地元の人に聞くと、ミルクをたくさん飲むからだそうです。

 

Q2:オランダで美味しい食べ物は何があるの?

A2:お勧めの郷土料理について、地元の人に尋ねましたが。ソーセージなど基本的にドイツ料理に似ている。ただし、「あまり美味しくはない」のでお勧めできないとのことでした。なお、初日から3泊したホテルの朝食(特にパン)は非常に美味しかったです。

 

 

Q3:オランダ人はエコ好きって本当?

A3:オランダは、土地がフラットで、多くの人が自転車を利用しています。道も車道、自転車/バイク用道路、歩道に別れています。電車の車両に自転車の記号があり、その車両には自転車を持ち込めるようなっています。私の知り合いは、家から駅、駅から会社まで自転車を利用しており、1日40km程度走行するようです。ちなみに、車の購入時の費用は安いが、その後の税金が高いようです。また、風車を今でも利用しているようです。木製の風車は、安くて長持ちのようです。また、風車は、カーニバル時には翼に旗がつけられ、翼の位置によって、村の人が無くなったことを知らせるなど、地域に密着したものです。

Dutch_5.jpg

高崎プチ観光

 高崎に仕事で行ったついでに、いつもの如く、待ち時間を使って、プチ観光をしました。いつも下調べをしていないので、その土地のことを知るために、まずは駅にある観光案内所に行って、マップをもらい、ちょっとした説明を受けて、いざ出発です。

 

 はじめに目指したのは、高崎城趾です。高崎城は、慶長3年(1598年)に徳川四天王の一人で、「井伊の赤備え」で有名な井伊直政が築城しました。今では、城跡は跡形もなくビル街になっていて、ほんの少し櫓などがのこっているのみです。

takasaki_1.jpg 

 

 次に向かったのは、長松寺(写真:下左)です。そこは、江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の三男(母は、浅井長政の娘である江与)である徳川忠長が自刃したとされる客殿があります。その後に向かったのは、その秀忠の墓所のある大信寺(写真:下右)です。忠長は、駿河国駿府藩藩主で、極めて優秀の人物であったとされています。それゆえ、将軍家光にとっては、危険な存在とされたようです。江戸幕府がまだ不安定の中、権力争いで、悲運な死に至った忠長のしのぶものでした。

takasaki_2.jpg

 

 ぐるっと江戸初期の歴史を振り返りながらの徒歩1時間程度のプチ観光でした。

(観光ビジネス研究会 岡村善裕)

 

travel.jpg

 

Q1: 群馬県の名前の由来には、高崎も影響しているって本当?

A1: そうです。歴史的には、江戸時代に、東国の防衛拠点である上州には譜代大名が配置されるようになり、前橋藩・高崎藩など沢山の藩が置かれていました。そして、明治2年(1869年)に、版籍奉還後の府藩県三治制に基づいて「岩鼻県」が置かれますが、明治4年(1871年)10月24日には「高崎県」に改められました。しかし、「高崎県」とする通達されたわずか3日後の1871年10月27日に、「群馬県」とする変更が行われました。この県名変更は、高崎藩8万石と前橋藩15万石との威信をかけた対立であり、どちらの藩も自らの藩名を県名にしたいという思いを持っていたのです。明治新政府は対立を調停するために二つの地域が含まれている「群馬郡」の群馬を県名として採用したのでした。

 

Q2:高崎と前橋は仲が悪いって本当?

A2:どうでしょうか?でも、地元の人と話すと、「こっちにあるが、あっちにない」など、ライバル心はあるようです。「高崎 vs 前橋」をネットで調べてみてください。なかなか面白いです。なお、歴史的に仲が悪いとされている地位は、「金沢 vs 富山」、「岡山 vs 倉敷」などがあるようです。

雨の姫路城観望

 「ワーツ これは素晴らしいですね!」

 僕が、地元の人に誘われて姫路城の前の建物4階レストランの窓から姫路城の姿を見た第一声だ。

 この日は、午後から同じこの建物の別室の会議室で会合があり、そのあとの食事会場のレストランでのことである。姫路城の正面からやや右の角度からの眺望だ。この建物の前は広い駐車場、城の周りには景観を邪魔する建物は一切なく、木々の緑の上に城の全景が拡がっている。書写山を背景にした大パノラマである。改修工事を終えたここから見る姫路城はまさに眉目秀麗な偉丈夫である。

 

 「姫路城、いいでしょう?ドイツにノイシュバンシュタイン城というきれいなお城があるでしょう?あの城の名にも白鳥という意味があるそうで、最近、白い鳥同士友好の協定を結んだんです。」

himeji_1.jpg

 「大天守閣もいいですが、実はあの左の方がいいですよ。」という。二の丸、西丸方面を指さして説明してくれる。

 「それにしても、素晴らしいながめですね」という僕に、「姫路は、今の市長が中心になって、12年かけてここまで計画的にまちづくりをやってきたのですわ。市長は、都市工学の専門家でしてねぇ。」

 「姫路の駅からもよく見えるように、展望デッキを作りましてね。駅から正面に城が見えるなんていうのは、世界でも二つだけなんだそうですよ。」

 

 このレストランに入ったのは午後五時過ぎ。この日はあいにくの雨で、城は少しけむっている。日が暮れるにしたがって城がぼんやりしてきたが、やがてライトが点灯され、七時近くにはライトアップされた城だけがくっきりみえるようになった。漆黒な背景に浮かび上がった天守閣は、まさに大舞台の中でスポットライトを浴びる千両役者である。

himeji_2.jpg

 この建物はイーグレ姫路という。このレストランでの食事をセットしてくれた会の幹事にひそかに感謝である。

 

 実はこの日、僕は午後からの用事を控えて城の周りを散策するつもりで姫路に少し早めについた。3月27日に姫路城リニューアルオープンして間もなくの時期であり、あいにくの雨ではあったが城を訪れる人も多く、城への入場待ち時間は一時間半、半分以上は外国人観光客ではなかったか。

 三の丸広場からの堂々たる姿に見惚れつつ人の流れに身を任せて進む。入場待ちの人の居並ぶ入城口の手前で右に折れて三の丸広場を右に見て東に進む。ここは人通りもほとんどない。突き当たったところを左に曲がると動物園や美術館、歴史博物館につづく。

 

 歴史博物館に入ろうと心に決めて石垣の道をひと折れふた折れ、東から城を仰ぎ見る。姫路城の写真は、ほとんどが南か西南から撮られており、僕の持つ姫路城のイメージもそうしたものだったが、東から見る姫路城は妻の重なり具合、石垣の風情は正面から見るのとは別の顔となる。敢えて言えば裏の玄関とでもいおうか、少しだけ気楽な感じがする。

 

 赤レンガ造りの美術館を通り過ぎて歴史博物館に入った。歴史博物館では、播磨地方を中心に興味深い展示があったが、ここでは省く。昼食のため館内の軽食喫茶店に入った。一面ガラス張りの窓から見た城は北東側からのながめだ。鮮やかな緑の木々の上に手前に小天守を従えた大天守がドンと座っている姿は、威厳がある。

himeji_3.jpg

 第二次世界大戦の末期、姫路の町は壊滅的な戦禍にあったが、翌朝になって姫路城の無事な姿を見て姫路の人たちは涙を流したという。さぞ、凛としたその姿は勇気と自信を人々に与えたことであろうと想像される。

 今回は、さまざまな表情を見せる姫路城の外観の素晴らしさを堪能した。次の機会には、新しくなった城内をゆっくりと見学させて頂こうと思う。(観光ビジネス研究会 河合眞起人)

 

travel_c3.jpg

Q1 姫路城は誰がつくったの?

himeji_4.jpgA1 姫路城といえば、最近は黒田官兵衛ブームですっかり有名になりましたが、元はといえば14世紀に赤松氏が築城したのが始まりだそうです。その後、黒田家、羽柴家、木下家などの城主が徐々に広げ、現在の城の形になったのは慶長年間に関ヶ原の戦い後に城主となった池田輝政によってなされたということです。白鷺城という名前は、白漆喰で天守や櫓をぬりこめた優美な姿が飛び立つ白鷺にたとえられたというのが一般的な説です。

 

Q2 姫路城の大きさはどれほどのもの?

A2 大天守の高さは、姫山が45.6m、石垣が14.9m、大天守が31.5mで合わせて海抜92mだそうです。広さは、外曲輪(そとぐるわ)内の面積は233ha、甲子園球場の観客席壁含めた面積約3.96haの59倍の広さです。外堀は、今の姫路駅近くまであったそうですから、すごい広さですね。

 

Q3 姫路の見どころは?

himeji_5.jpgA3 城に近いところからいうと、市立美術館、これは旧陸軍の倉庫だったそうですが赤レンガのきれいな建物です。この時はシャガール展をやっていました。歴史博物館は近代的な建物で、播磨風土記の展示などもありこの地域の歴史を辿るには面白い。ここには欧米の観光客も訪れていました。そのほかでは、書写山園教寺は天台宗の道場として有名で、弁慶もここで学んだとか。近くには美術工芸館もあるので、伝統工芸に興味のある方にはおすすめです。そのほか沢山の観光施設がありますが、桜山周辺には、自然観察の森、子供の館、アトムの館、太陽公園が、姫路セントラルパークにはサファリなどが、また手柄山には遊園地、水族館、植物園等々子供向けの施設が豊富にあります。姫路は、“日本有数のものづくりの街”として、伝統工芸や近代産業など多くの施設や企業で見学、体験など一般開放しています。姫路市では産業観光ツアーも行っています。

徳島一泊旅行

 残り少ない(と思われる)大阪生活。大阪にいる間に周辺地域を訪問しておかなければ、と思い立ち、2月下旬の土日を使って徳島へ一人旅してきました。


 今回の交通手段は高速バス。徳島⇔大阪のバスを使う人はそんなにいるのだろうか、と思いながら乗りましたが、行きも帰りも満席でした。需要のある路線であることを再確認。南海なんば高速バスターミナルから鳴門公園口まで定刻で約2時間半。朝9時のバスに乗り、渋滞もあった関係で3時間以上かかり12時頃に到着しました。

tokushima_1.jpg 鳴門公園口で下車し、まず「大鳴門橋架橋記念館エディ」へ。ここで鳴門のうず潮と橋のメカニズムについて軽く学習して、ランチタイム。鳴門公園内にある郷土料理のお店で鳴門のB級グルメでもある「鳴ちゅるうどん」を注文。特徴は刻み揚げ、ちくわに加え、鳴門名物のわかめをどっさり乗せ、あっさり味のスープ、そして不揃いの柔らか麺といったところでしょうか。刺身の盛合せとともに美味しく頂きました。

tokushima_3.jpg そして、初日のメインである鳴門のうず潮見物です。ここには会社の店内旅行で今から10年ちょっと前に来ましたが、駆け足観光だったためあまり記憶が残っておらず、今回はじっくり見物できました。大鳴門橋遊歩道の「渦の道」で渦上45mを海上散歩。鳴門海峡の潮流はイタリアのメッシーナ海峡、カナダのセイモア海峡と並んで世界三大潮流の一つと言われています。また渦の大きさは春と夏の大潮時に直径20mにも及び世界一の大きさとも言われているそうです。その豪快な渦を橋のガラス床から体感できます。高所恐怖症の方はとてもガラス床には立てないでしょうね。また、外からの大鳴門橋全貌も壮観です。


tokushima_41.jpg 鳴門公園で時間をゆっくり使い、その後はJR徳島駅まで路線バスで移動。1時間20分程度で到着。既に夕方近かったので、徳島城跡を見学するのは翌日にして、ホテルにチェックイン。夕食は徳島出身の後輩が教えてくれたお店で阿波尾鶏とすだち酎を堪能しました。

 

 


tokushima_5.jpg 二日目。まずは百名城の徳島城跡へ。徳島城は1385年(至徳2年)築城と伝えられる中世の山城から始まり、1585年(天正13年)阿波へ入城した蜂須賀家政が本格的な築城に着手し、翌年に一応の完成を見ました。以後、明治に至るまで284年の間、25万7千石の徳島藩蜂須賀氏の居城として威容を保ち続けました。

 

 

tokushima_6.jpg

 その後は徒歩で、松嶋菜々子が主演した映画でも有名な眉山へ。ロープウェイ乗り場へ向かったところ、施設の総点検のため約1ヶ月間運休とのこと。タイミング悪いです。徒歩で登る気力は当然ありませんので断念。ロープウェイの建物の3階にある「阿波おどりミュージアム」で阿波おどりの衣装や鳴物の展示物を見るなどして歴史を学びました。子供の頃、家族で阿波おどりを観に来たことがありますが、遠い記憶の片隅にある程度。いずれ阿波おどりの開催期間にまたお邪魔したいところです(眉山にも)。

tokushima_7.jpg そして、最後は豚バラ肉と生卵が特徴の徳島ラーメン。徳島市内だけでも100軒以上あるそうです。私はよく難波で生卵入れ放題の徳島ラーメンを飲んだ後の〆にしておりますが、本場での味をやはり徳島出身の後輩から仕入れた情報を元に、美味しく頂きました。

 

 一泊二日ではなかなか徳島を語ることは出来ません。徳島市内だけではなく、例えば時間があれば祖谷そばを食べに、あるいはかずら橋を渡りに大歩危・小歩危なども見どころの一つでしょう。大阪生活がもう少し長くなるようであればまた四国攻めに挑みたいです。(観光ビジネス研究会 長野正毅)


 travel_c3.jpg

Q1. 徳島みやげはどんなものがあるの?

A1. 食べ物ではやはりすだちでしょう。他には、鳴門わかめやなると金時(サツマイモ)、竹に魚のすり身を巻き付けて焼いた竹ちくわ、半田そうめん、和三盆などが挙げられます。私が購入した中で満足度の高かったのは徳島の郷土料理でもあるそば米雑炊です。そばの実の殻を取り除いたものと、鶏肉・椎茸・大根などを出し汁で煮た料理です。フリーズドライ製法なのでいつでも手軽に食べれます(胃が弱っている時に最適!)。

食べ物以外のお土産では、竹細工や阿波和紙、大谷焼、藍染めなどがあります。

  

Q2. 阿波おどりについて詳しく教えて!

A2. 毎年8月12〜15日に開催され、この期間に130万人近くが訪れます。阿波おどりは最初から徳島城下固有の盆踊りとしてあったのではなく、畿内などで踊られていた風流踊りなど、さまざまな踊りが城下の踊りとして取り入れられ城下の発展につれて、町衆に支えられ町衆とともに変化しながら現在の阿波おどりに発展してきたそうです。

上海旅行

 昨年末、金曜日に休暇を取り、2泊3日で上海に行って来ました。

 上海へは2回目の訪問。同じ昨年2月に2泊3日の出張で上海に行ったのですが、当然仕事ですから観光する時間などあまりなく、帰国する土曜の午前中に歴史的庭園である豫園と上海ワールドフィナンシャルセンターの展望台に寄った程度。今回も2泊3日という短いスケジュールですが、しっかり遊んで来ました(いろいろ遊んだものの、多少文章に残すと問題ある部分もありますので、一部割愛させて頂いております)。

 

 前回出張の際は関空から取引先の方がフルアテンドで付いてくれたのですが、今回は一応上海⇔関空は一人なのでちょっと緊張。関空からANAで9時40分出発し、現地時間11時25分(時差1時間)に上海浦東国際空港に無事到着。空港ではこの日終日観光をお願いしていた現地中国人の方(日本語も全く問題なし)が待機。「はじめまして」と挨拶をしつつ、その方の車でまずは上海から西へ約90km離れた水郷の町である西塘(シータン)古鎮へ移動しました。

 西塘は日本ではほとんど馴染みのない地名ですが、それだけ観光地化されていない昔ながらの中国が味わえる穴場的な場所です。小舟に乗り換え、雰囲気のある家々を見ながら、川をゆっくり進みます。そして集落奥の古い街並みに到着。一般の住宅をはじめ飲食店やお土産販売店などが立ち並ぶ中、この地域出身の方々の邸宅が公開されており、中の庭園なども見学できます。西塘は中国のボタン生産の40%程度を占めるそうで、ボタン博物館という施設もあり、ボタン作りの名人のおじさんに実演で小さなボタンを作ってもらいました。

上海1_2.jpg

(左:小舟から家々、右:地域出身の方々の邸宅)

 この時点で15時頃でしたので、軽食を頂きました。初めて食べる臭豆腐と西塘でのおススメという雲呑(ワンタン)。雲呑はごく一般的です。そして臭豆腐。出来るまで並んでいた屋台では相当強烈な匂いがしており、かなり不安を抱きましたが、食べてみるとサクサク感の揚げ豆腐で旨いです。その後、街並みを散策して、駐車場まで三輪タクシー(自転車)で戻り、西塘を後にしました。

 夕食は、上海に戻る途中の浙江省東北部に位置する嘉興市のLUOXINGGE HOTELの中にある中国料理店にて。この時期はやはり上海蟹。ご配慮いただき、雄と雌を両方頂きました(食べるのに苦労しましたが)。上海蟹以外にも大量の中華料理が運ばれて来て、とても食べ切れません。以前はそのまま残して、飲食店の従業員などが食べていたのが一般的だったそうですが、最近は習近平政権で節約・倹約がスローガンとなり、持ち帰りもするようになってきたそうです。

上海3_4.jpg

(左:臭豆腐とワンタン、右:上海蟹)

 

 上海に戻り、夜のお楽しみを経験し、ホテルにチェックイン。時刻はかなり遅くなり1時40分。ホテルは、リーガーデンホテル上海(上海梨園国際大酒店)のデラックスルーム。寝るだけなので、デラックスルームはあまり意味がありません。

 

上海5.jpg 2日目は上海に勤務する以前の同僚(後輩)に終日案内してもらいました。

 この日は車ではなく地下鉄で移動。地下鉄の一日乗車券は18元(約360円)とお得なので購入。まずは骨董店と小さな露店が軒を連ねる東台路古玩街へ。南北200m程度の細い通りの両側に店が並んでおり、店の至る所から声が掛かります。ある店で昔の上海の絵葉書セット(5枚入り)があり、値段を聞いたら200元(約4,000円)だと。ぼったくりです。これが交渉していく内に15元(約300円)まで下がったので購入。しかし、後に他の店では10元(約200円)で買えることが判明。値切ることに限界はありません。

 続いて豫園周辺へ。前回の出張の際には気づかなかったのですが、この周辺には10元ショップ(日本でいう100円ショップ)が点在しています。中には8元ショップもあり、手頃なお土産はこのようなお店で購入するといいでしょう。ちなみに先ほどの絵葉書セットは20枚入りで10元でした。こちらに先に来ていれば、と後悔。昼食は台北に本店を構える台湾点心料理のお店で頂きました。

上海6_7.jpg

(左:豫園周辺、右:台湾点心料理)

 午後は、上海科技館駅の地下にある上海亜太新陽服飾礼品市場へ。鞄、衣類、靴、財布、時計など様々な品物のニセモノ市場となっています。店員はどの店もしつこいです。ちなみにニセモノと言えば圧倒されたのが「渋谷タワレコ」というお店。当然ながらタワーレコードと全く関係はありません。海賊版DVDやCDが凄まじい枚数売られていました。日本でもまだ発売されていないDVDが15元程度の価格。まさにニセモノ天国です。

 外灘側から浦東のビジネス街を見つつ、その後船で浦東へ移動。外灘は租界時代の建築物が立ち並ぶ観光名所で、前日の夜も通りましたが若者を中心に非常に混雑していました。昨年末にはこの外灘で大規模な転倒事故が発生し、死者が数多く出ました。この時は新年の到来を祝うためライトアップショーが開かれていたそうです。

 夕食は香港資本の中華料理店で頂きました。何店舗かあるチェーン店のようです。この後もしっかり遊んで、〆にラーメン。日本と全く変わらない行動です。

 この日もホテルに到着したのが夜2時で、即就寝。

上海8_9.jpg

(左:浦東のビジネス街、右:ラーメン)

上海10.jpg 最終日は朝食後、ホテルから浦東空港まで現地係員が送って頂き、上海をANAで12時20分出発し、関空へ無事到着しました。

 

昨年2回の上海訪問では特に反日的な雰囲気や不快に思った経験をほとんどすることなく、楽しい日々を過ごしました。このような満足いく旅行(出張)はたまたまかもしれませんが、さらに上海、そして中国に関心を持ちました。中国語を多少なりとも勉強して、次回の中国旅行に備えたいと思います。(観光ビジネス研究会 長野正毅)

 

travel_c3.jpg

Q1. 上海の気候はどんな感じ?

A1. 筆者は2月と12月に行きましたが、ほとんど東京や大阪と気温は変わらない印象でした。スーツ(あるいはちょっと厚手の長袖シャツ)の上にコートという服装でしたが、十分対応できました。上海よりかなり北の北京だとそうはいかないでしょうね。

 

Q2. 上海蟹という名前は上海でもそういう呼び名なの?

A2. 上海蟹は日本での呼び名です。上海では、大閘蟹(ダージャーシエ)と呼ばれています。日本で上海蟹は高級食材ですが、中国でもそれなりのお店に行けばそれ相応の値段になります。ただ、上海蟹が獲れる湖の付近では50元(約1,000円)程度で売られているそうです。

播磨城巡り

 湖東城巡りに続いて、播磨城巡りを先日敢行して来ました。今回は詰め込み過ぎのスケジュールにならないように一泊二日での旅です。
播磨城巡り_1.jpg 土曜の早朝、東大阪の寮を出発して、梅田からJRで明石へ。明石へは過去かなり以前に一度訪問していますが、あまりに記憶に残っておらず。さて、朝9時過ぎに明石駅に到着。駅から海側に向かい、朝食がてら明石焼(明石の地元では「玉子焼」と呼ぶそうです)を頂きました。私がお邪魔したお店は一人前が20個とかなりのボリュームです。明石と言えば子午線の町。ということで、駅から徒歩10分程度のところにある明石市立天文科学館へ。東経135度の日本標準時子午線上に建ち、「時と宇宙」をテーマにする博物館です。屋上で太陽の天体観測をやっていましたが、この日は生憎雲が多く目的は達せず、でした。

播磨城巡り_2.jpg 続いて、駅の北側へ移動して、明石城跡へ。100名城の一つでもある明石城は別名「喜春城」と呼ばれ、1620(元和6)年に小笠原忠真が築城しました。天守台はありますが天守は建てられず、東西にある「巽櫓」(写真)と「坤櫓」の二つの櫓は、国の重要文化財に指定されています。

 ランチは再び駅の南側に出て海鮮料理のお店へ。明石らしく蛸づくし定食を頂きました。料理の内容からついビールも飲んでしまい、ほろ酔いでお昼過ぎに明石を出発。この日の宿泊場所でもある播州赤穂駅へJRで移動。元禄赤穂事件の「忠臣蔵のふるさと」として、また浅野家時代に確立した塩文化が名産でもある赤穂。お土産売場でもこの二つにちなんだ商品が数多く売られていました。

播磨城巡り_3_4.jpg

 駅に直結しているホテルにチェックイン後、大石神社や赤穂市立歴史博物館を見学。そして、本日の100名城第二弾は赤穂城跡。ここも本丸には天守台がありますが、天守は築かれなかったそうです。二重二階の三の丸隅櫓は古写真をもとに1955年(昭和30年)に再建されました。朝食、昼食とちょっと食べ過ぎた感があるので、夕食は軽めに。赤穂名産の塩を100%使ったご当地グルメ「名物 赤穂塩ラーメン」を頂きました。澄んだあっさり系のスープ。ご当地グルメということで、「播州赤穂塩ラーメンMAP」なるパンフレットがありますが、わずか4店舗のみの提供。あまり根付いていないようです。ゆっくり睡眠をとって、翌朝は播州赤穂駅からJRで姫路駅へ。

播磨城巡り_5_6.jpg

 こちらも官兵衛ゆかりの地。官兵衛が生まれ育ち、稀代の軍師へと成長した中国攻めの本拠地です。「ひめじの黒田官兵衛 大河ドラマ館」を見物後、姫路城へ。官兵衛の祖父らが築いた姫路城は、官兵衛が中国攻めの拠点にふさわしいと秀吉に明け渡し、秀吉は三重の望楼式天守を持つ新城を築いて天下取りの足掛かりとしました。現在の城は関ヶ原合戦後に池田輝政が築いたものです。国宝に指定され、ユネスコ世界文化遺産リストにも登録されており、当然ながら100名城の一つ。

播磨城巡り_7_8.jpg

 15年ぶり位の訪問でしょうか、姫路城。やはり他の城とはスケールが違います。大天守の内部は現在も未公開ですが、改修が終了した時点でまた改めて訪問する予定です。なお、お土産売場は官兵衛グッズ(便乗商品を含む)で溢れていました。(観光ビジネス研究会 長野正毅)

travel_c3.jpg

Q1.姫路城は改修中とのことだけど、いつ完成するの?

A1.姫路城大天守の保全修理工事を行っており、外観は見物出来るようになりましたが、現在も大天守の内部は未公開です。予定では平成27年3月27日より公開見通しです。

Q2.播磨で官兵衛ゆかりの城は他にあるの?

A2.播磨三大城の一つで「三木の干殺し」の舞台でもある三木城跡。本丸跡には、城主である別所長治の辞世の歌碑が残されています。また、加古川市には官兵衛の妻・光(てる)の実家の櫛橋氏の居城である志方城跡(観音寺)があります。なお、城ではありませんが、三木市には官兵衛と並ぶ天才軍師の竹中半兵衛の墓があります。

湖東城巡り

 10月に入って期が変わったものの、相変わらず多忙な毎日が続いています。

 土日にその分思い切り羽根を伸ばすことにしているのですが、先日は琵琶湖の東岸にある城を日帰りで攻めてきました。

湖東城巡り_1.jpg 朝7時に東大阪・長瀬の寮を出発し、電車を乗り継いで、まずは北陸本線の木ノ本駅まで一気に北上しました。駅から徒歩10分程度の場所にある「黒田官兵衛博覧会 大河ドラマ館」を見物。大河ドラマの映像や衣装、官兵衛も参戦した賤ヶ岳合戦のジオラマなどを展示しています。ただ、ちょっと期待外れ。

 次に南へ移動し、河毛駅で下車。レンタサイクルでまずこの日一つ目の城、浅井長政の居城だった小谷城跡へ。日本五大山城の一つに数えられる小谷城。日本百名城でもあり、国の史跡に指定されています。

 ところが、小谷城に登る前に立ち寄った小谷城戦国歴史資料館(ここで百名城のスタンプが押せます)で、山に熊が出没したということで入山禁止とのこと(後刻解除になりました)。本丸跡まで登山すると往復で2時間以上かかる見通しとのことですので、さっさと諦めて(登山で苦労するのも嫌なので)レンタサイクルで河毛駅へリターン。

湖東城巡り_2.jpg 続いて、長浜駅へ移動。丁度お昼時なので、長浜の郷土料理である焼鯖そうめんを頂きました。長浜には、「五月見舞い」といって農家へ嫁いだ娘のもとへ、娘を案じる親が焼鯖を届ける風習があるそうです。その焼鯖とそうめんを炊き合わせて作る「焼鯖そうめん」が定番の郷土料理で、ハレの日の一品です。

湖東城巡り_3.jpg お腹も十分満たし、次は徒歩で長浜城へ。秀吉の出世城であり、官兵衛の子の黒田長政が人質として預けられたと伝わるお城です。1615年に湖北支配の役割を彦根城に譲って廃城となりましたが、1983年(昭和58年)に再興され、市立長浜城歴史博物館として開館しました。天守の外観は天正期の城郭を想定して建築されたとのことです。

 そして、さらに南下。最後は彦根藩井伊家30万石の所領を有する彦根城です。こちらも百名城です。現存天守で、二重の堀に囲まれた城郭がほぼ昔のまま残り、国宝に指定されています。夕方の訪問でしたが、偶然にもゆるキャラの代表格であるひこにゃんに遭遇。相変わらずの人気で、写真を撮る人垣が出来ていました。

湖東城巡り_4_5.jpg

 日帰りでこの行程はなかなかハードでした。各々のお城をゆっくり観て、さらにその街の寺社見物やご当地グルメを堪能するとなればやはり一泊は必要でしょう。この経験を踏まえ、次の週には播磨城巡りを一泊二日で楽しみました。(観光ビジネス研究会 長野正毅)


travel_c3.jpg

Q1.木ノ本駅周辺で何か面白いことはなかったの?

A1.駅から大河ドラマ館に向かって歩いていると、混雑しているパン屋を発見。お店の名前はつるやパン。ここのサラダパンがご当地グルメブームによってマスコミに取り上げられ、滋賀県発の変り種パンとして全国的にも有名になったそうです。

 

Q2.サラダパンってどういうもの?

湖東城巡り_6.jpgA2.マヨネーズで和えた刻みたくあんのペーストをコッペパンに挟んだ惣菜パンです。折角なので、サラダパン以外も含めて購入しました。素朴な味ですが、たくあんのコリコリ感が妙にインパクトあり、食べ飽きない印象を受けました。

 

 

Q3.滋賀県には小谷城と彦根城以外に百名城はあるの?

A3.滋賀県には上記以外に二つの百名城が選定されており、いずれも近江八幡市にあります。一つは以前この観光レポートでも掲載した安土城。織田信長が築城し、本能寺の変の後、焼失しました。もう一つは観音寺城です。近江守護の佐々木六角氏の居城で、総石垣の巨大山城だったそうです。

瀬戸内海の離島 大崎上島

 “海景色が映えるまち〜地域資源を活かした理想郷の実現〜”をめざす島、瀬戸内海のほぼ真ん中に浮かぶ、自然豊かな離島「大崎上島」に行ってきました。

大崎上島町_2.jpg 大崎上島は、山田洋次監督の「東京家族」のロケ地としても広く注目されました。

 大阪方面からのアクセスは、新大阪駅からJR山陽新幹線で三原まで行き、三原駅でJR呉線に乗り継いで竹原へ、竹原駅からタクシーで約10分の竹原港まで行き、竹原港から大崎上島の白水港まではフェリーで30分の距離にあり、私が訪れた日は快晴で、穏やかな瀬戸内海のフェリー体験はとても快適で、海風が心地よく感じられました。

  大崎上島には、多くの観光ポイントがあります。木造家屋の建て方には木造船の建造技術が活かされ、島内には木造5階建てや木造3階建ての建物がたくさん残っていることに驚かされます。

 

「神峰山(かんのみねやま)」は、大崎上島のシンボル、標高453mの頂上にある展望台から渡せる瀬戸内海の115の島々や「しまなみ海道」の景観は圧巻で、瀬戸内海でも有数の風光明媚な景勝地です。 大崎上島町_10.jpg


「大串外浜海岸」は、白い砂浜が約1キロも続く自然海岸で、水質がよく広島県屈指の海水浴場、目の前の大串キャンプ場は設備が整った広いキャンプ場で、シーカヤックの体験や夏の花火大会など多彩なイベントが繰り広げられます。


大崎上島町_4.jpg

「木江ふれあい郷土資料館」は、全国でも珍しい船の形をした3階建ての建物で、精巧な木造船の模型もたくさん展示されており、造船や海運のまちとして栄えた歴史を学ぶことができます。

 

「国立広島商船高等専門学校」は、1967年に設置された国立高等専門学校で、全国に5校ある商船高専の一つで、若者が海洋や商船関係の勉強に取り組んでいます。

 

「木江の古い町並み」は、“潮まち・風待ち”の良港として、船舶の出入りが盛んな港町の繁栄を垣間見ることができる大正時代の古い町並みには、忘れかけた貴重な昔の風情が残っていて魅力的です。

 

「櫂伝馬競漕」は、200年以上続いている伝統神事で、地区ごとの小型木造船(櫂伝馬)をかけ声と太鼓に調子を合わせて漕ぎ、速さを競い合う勇壮なボートレースで、国土交通省の島の宝100景にも選ばれています。

 「醤油造りの工場見学」は、岡本醤油醸造場の80年の伝統の手づくりの醤油の製造工程を見学できますが、解説していただいた岡本社長は、大崎上島の歴史を踏まえて、手づくりの醤油造りに込めた熱い思いをいきいきと語られて、非常に魅力的な内容で、とてみいい勉強になりました。

 大崎上島も過疎と人口減少に見舞われていますが、大崎上島町商工会青年部37名は、意欲的に地域発展のための会合を重ねており、大崎上島が“離島であること”をチャンスと捉えて、若者の発想で、観光振興による地域活性化にも取り組む意欲を見せてくれました。地域の最大の「強み」は、青年部の若者のまとまりと地域を思う熱い心と感じました。(観光ビジネス研究会 加藤 弘治)


travel_c3.jpg

Q1:大崎上島での交通手段は何なの?

A1:町内を巡回する町営バスの「おと姫バス」が運行しているほか、レンタサイクルや、超小型モビリティ電気自動車も利用することができますが、やはり観光客の利便性には問題が残ります。対応策が検討されています。

 

Q2:へ〜。ところで、宿泊施設はあるの?

大崎上島町_6.jpgA2: 民宿の数はかなりありますが、設備の整った宿泊施設としては、300人を収容できるホテル清風館が挙げられます。高台にあるホテルは温泉が湧き出ており、海に突き出して作られた露天風呂からは、目の前にすばらしい景観が広がり、温泉と共にゆっくりと瀬戸内の景色を楽しめます。

 

 

 

Q3:最後に、独自の観光魅力は何かな?

A3: フェリーで竹原から大崎上島に向かう途中に見える契島には、東邦亜鉛の精錬所がまるで軍艦島のような姿を見せており、産業観光のポイントとして注目されます。さらに、木江の古い町並み、海沿いウォーク、進水式の見学、東京家族ロケ地めぐりなどは、大崎上島独自の観光ツアーとして売り出せる可能性があります。

大崎上島町_9.jpg

宮崎周遊

 9月は半期ごとの勤務先の期末月。何かと溜まってしまったストレスを解消するために宮崎へ1泊2日の弾丸ツアーを決行しました。

 朝一番で、伊丹空港から宮崎空港へ。同期の同僚が宮崎で勤務しており、彼の車を使っての宮崎周遊です。結果的に2日で600`の走行距離になりました。

 

miyazaki_1.jpg 初日は生憎の雨模様。雨の堀切峠を通過して、まずは、宮崎県で唯一の日本百名城である飫肥城跡に行ってみました。写真は1978年に樹齢100年の飫肥杉を使用して復元された大手門です。島津氏と伊東氏の約25年にわたる争奪戦を経て、天正16年(1588年)、伊東氏が飫肥城主となりました。

 さて、こちらでは飫肥地方のご当地グルメの飫肥天と玉子焼きを頂きました。飫肥天は薩摩揚げに近いですが、豆腐を練り込んでいるので柔らかくご飯のおかずに十分なります。また玉子焼きは殿様に献上したとのことで、一般的な玉子焼きとは異なりスイーツのような食感です。

 初日の昼食は、日南市のご当地グルメであるカツオ炙り重です。日南市は「一本釣りカツオ」水揚げ日本一の町。2010年にデビューしたというまだ誕生間もないご当地グルメですが、地元民には当然ながら観光客にも高評価だそうです。漬けダレのカツオを炙るとまさに焼肉のようです。美味しく頂きました。

miyazaki_2_3.jpg

(左:飫肥天、右:カツオ炙り重)

miyazaki_4.jpg 午後からは雨も激しくなりましたが、さらに観光は続き、宮崎県南では最も有名な神社である鵜戸神宮へ。日向灘に面する断崖の中腹の洞窟内に本殿が鎮座しています。男性は左手、女性は右手で願いを込めながら運玉(5個100円)を投げ、亀石と呼ばれる岩の枡形に入れれば願いが叶うとのことで、左利きの私はこれはラッキーということで投げたものの暴風雨でコントロールが定まらず。結局1個も入りませんでした。願い叶わず。

 続いて、宮崎市内に戻り平和台公園へ。37mの高さがある平和の塔を観ながら、はにわ園へ。中学生時代の修学旅行に宮崎・鹿児島へ来て、何故か未だに記憶に残っているのがはにわ園(+宮崎交通のバスガイドさん)。400体の埴輪のレプリカが迎えてくれます。ある意味B級スポットと言えます。

 初代天皇の神武天皇を祀る宮崎神宮を参拝し、その後は天ヶ城公園へ。中世山城で、1600年に島津義弘が天ヶ城と命名し、1615年には一国一城令により廃城となりました。天守閣は模擬天守です。これで初日の観光は終了。

miyazaki_5_6.jpg

(左:はにわ園、右:天ヶ城)

miyazaki_7.jpg 夜は居酒屋を2軒はしご。焼酎を飲みながらの宮崎郷土料理です。主に鶏を頂きました。鶏刺は新鮮そのもの。ただ、平日からの飲み過ぎで胃腸が弱っていたので、十二分に食べ尽くせず、心残り。早めに寝て、翌日に備えました。

 

 

 二日目は快晴に恵まれました。朝6時半にホテルまで迎えに来てもらい、再び車で出発。

 まずは宮崎県内では最も有名な観光スポットの高千穂峡へ。阿蘇山の噴火による火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却されたために柱状節理の素晴らしい懸崖となった渓谷です。貸しボートに乗ろうと思いましたが、朝9時過ぎの段階で30分待ち。男2人で待ってまで乗る必要もなかろうと思い、ボートは諦めました。

 高千穂では高千穂神社と天岩戸神社の2つの神社を参拝。天照大御神が隠れたという天岩戸という洞窟をご神体として祀っている天岩戸神社。天岩戸は、西本宮から谷を挟んで反対の壁の中腹にあり、神職が無料で案内・説明してくれます。なお、天岩戸は写真撮影禁止でした。その後、徒歩10分程度で天安河原宮へ。天岩戸に隠れた天照大御神を洞窟から出てもらうために神々が集まって相談したと言われるのがこの天安河原だそうです。森林に囲まれ、そして清らかな川の流れに接して身体に鋭気が蘇りました。まさにパワースポットです。

miyazaki_8_9.jpg

(左:高千穂峡、右:天安河原宮)

miyazaki_10.jpg 二日目の昼食は宮崎牛のステーキ。大阪でも食べることが出来ますが、本場はやはり安いです。ビールでも飲みたいところですが、運転する同僚に気遣い、コーヒーで我慢。

 午後は綾町へ移動し、まずは照葉大吊橋。綾南川の水面から最も深いところで142mあります。なかなかのスリルを味わいました。照葉大吊橋は1984年〜2006年まで人道吊橋としては世界一の規模を誇っていたそうです。

 続いて綾城へ。築城は1331〜1334年で、足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門が築いたと言われ、その後伊東氏48城の一つとなり、1577年に伊東氏が島津氏に敗れた後、島津氏の支配下に。1615年の一国一城令により綾城は廃城となりました。物見櫓はかなり特徴のある造りになっています。

miyazaki_11_12.jpg

(左:照葉大吊橋、右:綾城)

miyazaki_13.jpg 再び宮崎へ戻り、鬼の洗濯板に囲まれた青島の中にある青島神宮を参拝後、宮崎空港へ。空港では夕食代わりにチキン南蛮定食。最後まで宮崎を味わい尽くしました。

 

 

 宮崎県内を1泊2日で縦断。かなり慌ただしい濃厚な旅程になりましたが、まだまだ宮崎には観光スポットが多数あります。時間をかけてゆっくりまた訪れたいものです。(観光ビジネス研究会 長野正毅)

travel_c3.jpg

Q1.宮崎には他にどういう郷土料理やご当地グルメがあるの?

A1.まず伝統的な家庭料理としては冷や汁があります。鯵、ごま、みそをすり鉢で合わせ香ばしく焼いて、冷えた出汁で溶き、豆腐、きゅうり、薬味などを入れ温かいご飯にかけて食べます。他には、肉巻きおにぎりやレタス巻き、スイーツではチーズ饅頭などがあります。鰻も宮崎は養殖鰻生産量全国第3位で高い評価を得ています。

 

Q2.大吊橋から下を眺めたらどんな感じなの?

miyazaki_14.jpgA2.橋がかなり揺れるので、相当なスリルを味わえます。高所恐怖症の人にはとてもおススメできませんね。


パリ 盗難に注意!

paris_1.jpg フランスの首都であるパリ(巴里)は、世界都市ランキングにおいて、ニューヨーク、ロンドンに次いで、第3位の都市と評価されるなど、世界のトップクラスの都市です。パリには、ルーブル美術館、オルセー美術館など一流の美術館で、超一流の美術品を鑑賞できますが、なにより、街を作っている建物自体が美しく、街全体が美術館のような感じです。

しかし、その美しい街並とは別に治安的にはよくありません。私がパリに滞在している5日間に回りで3件の盗難事件がありました。それは、足下に荷物を置いて、話している間に気が付くと荷物が無い、目の前の人が小銭をバラまいたのでそれを手助けしているうちに荷物が無いなどでした。ありがちな話しが実際に回りで起っていました。特に、知り合いが地下鉄でリュックを背負っていると、ごそごそと手が、振り向くと相手が残念そうに「シッシ」とあっち行けの合図!泥棒が逃げるのではなく、盗られかけた方が逃げる?

他に、若くて、可愛い女子がアンケートのように話しかけてきて、結果的に寄付金詐欺でユーロ札を持ってかれることもあります。

 パスポートを失うと、その足で日本大使館に行くなど、旅行が台無しになってしまうので、気をゆかずにパリを楽しんで下さい。(観光ビジネス研究会 岡村善裕)

travel_c3.jpg

Q1: パリは危険だね!でも、たっぷりと楽しんだんでしょう?

paris_0.jpgA1: はい、仕事でパリに行ったので、観光の時間はあまりありませんでしたが、オルセー博物館に少しだけ行きました。そこには、テレビや本に出てくるような美術品があり、モネ、ゴッホ、ゴーギャンなどの作品を堪能することができました。感動ものでした。

 

 

Q2:フランス料理は食べたの?

A2: ミシュランガイドにのっているというパリで人気のビストロのLa REGALADE Conservatoire に行きました。37ユーロのコース料理で、前菜・メイン・デザートから1品づつ選ぶシステムです。私は、前菜にウサギのテリーヌ、メインに鶏料理、デザートにマスカットのタルトを頼みました。とても美味しかったです。

paris_2.jpg

  

Q3:パリの街にはすごく有名な建物があるんでしょう。

A3:ガイドブックを片手にあるきましたが、あちらこちらで足を止めるスポットがありました。私は鉄道ストライキで仕事が1日出来ない間に、6時間24kmほどをパリの街を歩きました。

paris_11.jpg

(左:ルーブル技術館、右:エッフェル塔)

paris_12.jpg

(左:凱旋門、右:コンコルド広場)

paris_13.jpg

(左:オペラ座、右:ノートルダル大聖堂)

伊根の舟屋をめぐってきました

 京都府与謝野軍伊根町にある伊根の舟屋を観覧してきました。伊根湾めぐり遊覧船は、舟屋が立ち並ぶ伊根湾を約30分かけて周遊します(営業時間:午前9時〜午後4時、大人680円・子供340円)。

inewa_meguri_2.jpg

 乗船場や船内に、カルビー「かっぱえびせん」の小袋が1袋100円で販売されており、船に群がるカモメにエサをあげるのは、伊根湾めぐりの醍醐味らしく、かなり楽しく子供も大喜びです。しかし、カモメと一緒に大きく凶暴そうなトンビも飛んでおりますので、注意が必要です。

kamome.jpg

 丹後半島の東端にある伊根町では、船のガレージを舟屋と呼んでおり、伊根の舟屋は、地方の漁村の暮らしを今に伝えるものです。周囲5キロメートルの湾に沿って230軒あまりの舟屋が立ち並ぶ風景は壮観で、全国的にも大変珍しく、重要伝統的建造物群保存地区に選定されました(平成17年7月)。どこか懐かしい日本を感じさせる美しさが今でも大切に残されていて、伊根町独自の雰囲気を醸し出しています。

funaya.jpg 伊根の舟屋は、基本的には、地元の方々の民家としてプライベートな生活を営まれており、船のガレージを保有されているに過ぎません。しかし、それが映画やドラマのロケなどにより、今や観光資源として観光地化されている有名な事例となっています。観光客の立場としては、このような地域資源を視察することで「古き良きものを大切にする心」を学ぶことができます。一方、着地側の地域の方々としても、せっかくの観光資源ですので、有効活用して観光ビジネスを構築するなど、地域の活性化に役立てていただきたいものです。(観光ビジネス研究会 松浪 辰也)

 

 

travel_c3.jpg

Q1: 伊根の舟屋には、どうやって行けばいいの?

A1: 伊根の舟屋へのアクセスは、車が最も便利です。

 京都市内からは、沓掛I.C−京都縦貫自動車道−丹波I.C=国道27号線経由=京丹波わちI.C−京都縦貫自動車道−与謝天橋立IC(京都から天橋立までは約2時間30分です。約100km)

 神戸・大阪方面からは、吉川JCT−中国自動車道−舞鶴若狭自動車道−綾部JCT−京都縦貫自動車道−与謝天橋立IC(高速道路利用で大阪・吹田ICからは約2時間20分です。約140km)

 

Q2:伊根の舟屋は、なぜ建てられたの?

A2:舟屋が建てられはじめた要因としては、まず第一に格好の漁場であったことがあげられます。舟屋は、舟を腐らないように引き上げておく場所として、また漁の準備をするための場所として使用されました。元来は、船収納庫としての機能を持つのみでしたが、現在では2階建てが主で、2階は物置や居住場所となっています。(伊根浦舟屋群等保存会公式ホームページ参照)

 

Q3: 伊根でおすすめの食べ物は?

A3: 歴史的にブリで栄えたまち、伊根の寒ブリは脂がのって格別です。その他、伊根マグロ、岩ガキなどの新鮮な魚介類もおすすめです。

京都宇治のお茶の文化を楽しむ

 私は、毎年8月に京都の宇治を訪問し、屋形船からの鵜飼観覧で夏を楽しんでいます。しかし、今年の予定日の8月9日は、台風の影響で、宇治川が増水したため、鵜飼いは中止となりました。そこで、宇治在住の知人の案内で、宇治のお茶の文化を楽しめる次の2つの施設におじゃましました。

 宇治茶道場「匠の館」:お茶の銘柄当てゲーム『茶香服(ちゃかぶき)』を楽しむ

 朝日焼窯元:茶どころ宇治の窯元として400年間、お茶にかかわる器を作り続けた『朝日焼窯元』の見学

 

☆宇治茶道場「匠の館」:『茶香服(ちゃかぶき)』を楽しむ

 茶香服は、南北朝のころに京都を舞台に文化人の茶の味を飲み分けて勝敗を競う遊びとして流行した「闘茶」というものがルーツとになっているそうです。私たちは、約600年前の文化人を気取って、茶香服にチャレンジしてきました。

 宇治茶道場「匠の館」の茶香服では、玉露、碾茶(てんちゃ)、煎茶2種、玄米茶の5種を用いてお茶の銘柄当てゲームをするようになっています。

○茶香服.jpg

 それぞれの茶に花・鳥・風・月・客の名前をつけて、一回飲むごとに、自分の思った茶銘の種別シールを解答用紙にはります。そして一通りすめば自己採点します。通常は、これを5回繰り返してその合計点で順位を決めるルールとなっています(時間の関係で今回は3回で集計しました)。

 そして、次のような銘柄のお茶を使いました。

   宇治玉露(100g 5000円)

   宇治碾(てん )茶(100g 6000円)

   和束煎茶(100g 2000円)

   鹿児島煎茶(100g 1200円)

   玄米茶(100g 500円)

 このゲームの難しいところは、ゲームの前の現物のお茶の試飲がなく、実物の茶葉の香りを嗅ぐたけで、いきなり味の記憶がないお茶を飲み、すぐに銘柄をあてなければならないことです。また、お茶を入れる温度も、上級茶が旨味が最もでる湯冷ましではなく、下級茶に適した90度の温度で入れており、銘柄による味の違いが「口に入れて、すぐ解らないように工夫されていました。

 私のように、今回使用した5種の銘柄ではっきりと違いがわかる玄米茶すら区別がつかない味音痴には、当てずっぽうで銘柄をあてるしかない状況でした。だた、3回目になると、宇治玉露の味はなんとなしにわかるようになり、玉露をベースに他のお茶の銘柄を判定したら正答率が高まるということが解ってきました。すると、このゲームの面白さを感じられるようになりました。 

 ゲームが終わってから、上級茶の旨味を最も引き出す温度の湯冷ましされたお湯と、適時の抽出時間で入れた宇治玉露(茶香服で使ったお茶)をいただきました。お湯の温度と抽出時間の違いで、同じ銘柄のお茶でもこんなにも味が違うのかと驚き、お茶の世界の奥深さの一端を感じることができました。

 

 宇治茶道場「匠の館」では、茶香服以外にも、「お茶の淹れ方教室」や「喫茶コーナー」のあります。 

<宇治茶道場「匠の館」>

 営業時間:11時〜17時

 定休日        水曜日、年末年始

 住所        〒611-0021 宇治市宇治又振17-1

 TEL        0774-23-0888

 FAX        0774-23-0888

 ※宇治橋東詰め交差点から川沿いを上流へ200メートル)

 ※駐車場あり

 

☆朝日焼窯元:工房・ギャラリー見学

  朝日焼の窯元は、匠の館から歩いて1.2分の所にあります。

朝日焼は、約400年間に渡って、宇治のお茶にかかわる器を作り続けてきた由緒ある窯元だそうです。現当主「朝日焼十五世・松林豊齋」氏の次男の松林俊幸さんの案内で、工房とギャラリーを見学させていただきました。

○登窯と工房.jpg

 最初に、陶磁器を焼くために窯「登窯(のぼりがま)」を見学させていただきました。登窯は、ガス窯と違い燃料に薪を使っているため、窯の温める作業(約2日間)から本格的な焼成の作業(約3日間)までの間、薪をくべたり窯の温度を調整する作業は全て手作業になっており、大変な手間がかかるそうです。朝日焼の登窯は、先代の十四世窯元が十年来心血を注いで研究された独自に開発した窯(「玄窯:げんよう」)だそうで、この登窯を使うと他の窯では出てこないような模様が出るそうです。朝日焼の登窯「玄窯:げんよう」を見ているだけで、窯元の焼き物への情熱が伝わってくる思いがしました。

 次に工房とを見せていただきました。時間も押していましたので、工房見学は、ひととおりの作業工程を説明していただきました。工房では、ビギナーからベテランまで経験に応じてコースが選べる陶芸教室もやっているそうです。

 最後にギャラリーを訪れました。ギャラリーには、お茶にかかわる伝統的な器から、日常使いの器、そしてデンマークのデザイナーとコラボレーションした器まで、幅広い作品が展示されていました。

 ○ギャラリー.jpg

○茶器.jpg 京都のお茶の器といえば有名な「楽焼」がありますが、楽焼が男性的な印象を与えることに比べて、朝日焼は「器の表情、釉薬の優しい色等」から女性的な繊細さを感じられる器であると思いました。そして、器の見た目だけでなく、「お茶を美味しくいただくための高い機能性とデザイン」も両立した器であるとのことでした。

 伝統技法、デザイン、機能性を突き詰めた「持ち手のない急須“宝瓶(ほうひん)”」を拝見すると、お茶の文化を育んだ地・宇治で、400年渡って茶器を作り続けてきた朝日焼だからこそ生まれてきた器であると思いました。

 (持ち手のない急須「宝瓶(ほうひん)」http://asahiyaki.co.jp/about/

 

<朝日焼窯元>

 営業時間:10時〜17時

 定休日:月曜日(祝日の場合は翌日および毎月最終火曜日)

 〒611-0021

 京都府宇治市宇治山田11番地

 (JR宇治駅徒歩13分/京阪宇治駅徒歩8分)

 TEL 0774-23-2511

 http://asahiyaki.com/

 

☆最後に

 生産・製造技術の進歩等で、上質なお茶を生産・製造できるところは静岡、鹿児島、福岡など、日本全国いたる所にあります。しかし、お茶を楽しむ文化についてを考えると、都である京都は、いまだ比類なき奥深さがあるのだということを、今回の宇治での体験で実感しました。(観光ビジネス研究会 五十田 光宏)

 

travel_c3.jpg

Q1  茶香服体験は、予約が必要なの?

○宇治茶道場.jpgA1 完全予約制です。人数は10名から40名まで可能だそうです。時間・料金はコースによって違います。

一例

・5種3煎競技(1時間30分、税込みで1000円)

・5種5煎競技(2時間、税込みで1500円)

詳しくは、下記のURLをご参照ください。

http://www.ujicha.or.jp/匠の館/茶香服/ 

 

 

 

 

Q2 朝日焼は、観光客でも気楽に楽しめる陶芸体験コースがあるの?

○朝日窯の外観.jpgA1 一日陶芸体験というコースがあります。「土ひねり体験」「電動ろくろ体験」「絵付け体験」の3つコースの中で選ぶことができます。

基本コースの内容は次の通りです。

・土ひねり体験

  受講料 3,240円(1点制作)

  時間 1時間半程度

  対象年齢 幼稚園の年長さんぐらいから

・電動ろくろ体験

  受講料 3,780円(1点制作)

  時間 1時間半程度

  対象年齢 小学一年生ぐらいから

・絵付け体験

  受講料 3,240円(皿)

      5,400円(湯呑)

      16,200円(茶碗)

  時間 30分程度

  対象年齢 3才ぐらいから

 詳しくは、下記のURLをご参照ください。

 http://asahiyaki.com/sakuto/lesson/

伊勢神宮参拝

 昨年10月に、20年ごとの神様のお引越しである式年遷宮が斉行された伊勢神宮。先月心身を浄めるために(?)伊勢神宮一人旅を敢行してきました。

 前日は電車で松阪や津を巡り、夕刻宿泊する旅館のある近鉄伊勢市駅下車。駅から徒歩5分程度で伊勢神宮の外宮(げくう)へ行けます。お伊勢参りは、外宮→内宮(ないくう)の順番でめぐるのが神宮参拝のならわしで、「外宮先祭」といわれ、神宮の祭りの多くは外宮から行われているそうです(たまたま外宮拠点にしていましたが、実はめぐる順番は当日知りました)。

 翌朝早く起きて活動開始。朝5時から参拝できるので、暑い時季には早朝が狙い目です。

 外宮は内宮ができた約500年後、天照大神のお告げにより、食事を司る神として迎えられた豊受大神を祀っています。衣食住をはじめあらゆる産業の守り神です。

 表参道火除橋を渡り神楽殿を右手にしながら歩くと、左手奥に風宮、土宮、多賀宮(写真:下左)の別宮3社が点在。そして表参道を突き当り右手に外宮の中心となる正宮(しょうぐう)(写真:下右)があります。敷地内の御殿で神々の食事が朝と夕方に捧げられています。所要時間は1時間程度。十分旅館の朝食の時間に間に合います。

外宮_2.jpg

 続いて、外宮前バス乗り場からシャトルバスに乗って内宮へ。20分弱で到着します。

五十鈴川御手洗場.jpg 宇治橋を渡り、参拝する前に心身を浄める場所である五十鈴川御手洗場で手をすすぎます(写真:右)。そのまま道なりに参道を進むと奥に内宮で最も格式の高い正宮(写真:下左があります。祭神の天照大神は皇室の祖先であり日本人の総氏神様です。正宮を右手に見つつ階段を上ると荒祭宮があります(写真:下右)。天照大神の荒御魂をまつる別宮で、荒御魂とは神の特別な働きをする状態、または神が現れた状態のことだそうです。所要時間は1時間半程度あれば十分です。

内宮.jpg

  暑い夏も終盤を迎えつつありますが、夏バテの方も多いことでしょう。式年遷宮を終えた伊勢神宮で森林からの澄んだ酸素を吸いつつ神々のパワーをもらいに参るのはいかがでしょうか。(観光ビジネス研究会 長野正毅)

travel_c3.jpg

Q1.伊勢名物の伊勢うどんはどんなものなの?

伊勢うどん.jpgA1.コシのない太いうどんをたまり醤油ベースの黒く濃厚な汁と絡めたご当地麺だよ(写真E)。お店はたくさんあるから、食べ比べするのもいいかも。具やトッピングは少ないけど、生卵を絡めると汁の濃さがマイルドになるよ。コシのある讃岐うどん派の人はちょっと苦手かも。

 

Q2.食事の後は甘いものが食べたいね!伊勢を代表するお菓子は?

赤福.jpgA2.やはり今から約300年前に誕生した赤福餅だと思うよ(写真F)。お餅の上にこし餡を乗せた餅菓子。内宮から程近いおかげ横丁の中に本店があって、そこで食べることも出来るよ。夏の間は赤福氷というかき氷も人気だね。

 

小倉城の散策

 新幹線で小倉駅につくとまず、目に入るはモノレールです。モノレールは、小倉駅に垂直に突き刺さるように、線路が伸びています。

kokura_2.jpg そこから、少し歩くと小倉城につきます。なお、小倉城の天守閣は1959年に再建され、今は耐震工事中で年内休館のようです。

 小倉城の天守閣は、「唐造りの天守」と呼ばれ、4階と5階の間に屋根のひさしがなく、5階は4階よりも大きくなっており、とてもユニークな形をしています。そして、城の石垣は、切り石を使わない野面積みで、豪快なものです。

 小倉城のそばに、庭園があります。庭園は、池を中心に巡りながら庭を楽しむ「池泉回遊式」で、池は、池面が周囲より低く「のぞき池」となっているのが特徴のようです。そして、庭園ゾーンの他に、書院ゾーン、体験ゾーン、展示ゾーンがあります。書院ゾーンは、日本の伝統的な建築様式である書院造りの本格的木造建築物であり、江戸時代から現代にかけて描かれた絵や書の軸を、季節に合わせて展示しています。体験ゾーンは、抹茶と季節の和菓子が楽しめます。最後に展示ゾーンでは、伝統的な礼儀作法をテーマに展示品が並んでいます。

 日本の歴史や伝統を振り返りながら、お城と庭園をのんびりと1日散策しては如何でしょうか?(観光ビジネス研究会 岡村 善裕)

travel_c3.jpg

Q1: 小倉城を造ったのは誰なの?

A1: 戦国時代に中国地方の毛利氏が今の場所に城を築きました。その後、関ヶ原合戦後に入国した細川忠興によって、1602年から約7年の歳月を要して本格的に築城されました。なお、細川氏の熊本転封の後に、細川家とは姻戚関係にある小笠原忠真が入国しました。

 

kokura_3.jpgQ2:幕末の小倉城はどうだったの?

A2:小倉は長州藩を攻める第一線基地だったので、小倉城で小倉と熊本藩が長州藩と戦いましたが、最後は、自ら小倉城に火を放って戦線を後退しました。その時に、長州藩が小倉城を砲撃した時に使用した大砲の復元が、小倉城に展示されています。

 

 

 

Q3: 小倉城の近くには、お城の他に見所はあるの?

A3: 小倉城のそばに、松本清張記念館があります。展示室は、2つあります。展示室1(松本清張の世界)は、清張の生涯や年譜、当時のニュースなどの年表があり、清張文学の全てが解りやすく紹介されています。展示室2(創造と創作の城)は、平成4年8月4日、松本清張が逝ったその時の形で、松本清張の創作活動をしていた空間が再現され展示されています。それは、清張が一人「城」に閉じこもって創作活動に没頭した空間です。

 

Q4: なぜ、小倉に松本清張記念館があるの?

A4: 公式には、福岡県企救郡板櫃村(現在の北九州市小倉北区)生まれとされいるためです。しかし、小倉は出生届が提出された場所であり、清張自身は1990年の読売新聞のインタビューで「生まれたのは小倉市(現北九州市)ということになっているが、本当は広島なの」と話しています。

村上水軍ゆかりの地を訪ねて

 先日、村上水軍ゆかりの地、しまなみ海道にある大島、能島(愛媛県今治市宮窪)を訪ねました。きっかけは、最近読んだ和田竜著「村上海賊の娘」(2014年本屋大賞受賞)ゆかりの地を訪ねてみようと思い立ったことでした。それともう一つ、6月7日(土)に今年で2回目の出場となる「しまなみ海道100kmウルトラ遠足(とおあし)」(福山城をスタートし、しまなみ海道を経由して今治市街まで)を無事走り切り、ただ島を通過するだけでなく一度立ち止まって、ゆっくりとしまなみ海道の島々を観光してみようと思ったためです。

 さて、目的地までは、JR福山駅から高速バス「しまなみライナー」に乗って大島バスストップで降り、あとは諸事情により(後述)、のどかな島を歩いて向かいました。

今治市村上水軍博物館.jpg 最初の行先は、今治市村上水軍博物館です。村上水軍にまつわる文献や武器、出土品等の展示や映像などを使って、解かりやすく村上水軍の歴史や文化を紹介しています。村上水軍は、俗に三島村上家と呼ばれ、能島、因島、来島の三家からなり、瀬戸内海のほぼ中央に横たわる芸予諸島を支配していました。その中でも、能島村上氏はどの大名にも臣従せず、独自の姿勢をとったと言われています。この能島村上氏の全盛は、「村上海賊の娘」の舞台となった戦国時代、村上武吉が当主の時で、毛利方として木津川合戦で織田方の水軍を破ったことが有名です。

 彼らは俗に「海賊」と呼ばれ、海での略奪など悪いイメージのみが連想されます。実は、戦時には船を巧みに操り火薬を用いて戦闘する一方で、平時には私的な関所を設け、往来する船から帆別銭(ほべちせん)という通行料を徴収するかわりに、丸に上の字を記した過所旗(通行証のようなもの)を与えて、水先案内や海上警固を行う他、海上運輸など、海の安全や公益・流通を担う重要な役割を果たしていましたことが解説されています。

 博物館の後は、能島村上水軍が拠点としていた、能島に向かいました。能島はその名のとおり能島村上氏の拠点であり、島全体が海城となっていて、国指定の史跡にもなっています。しかし、残念ながらこの能島には、通常上陸することができません(年間に桜の季節の2日間のみ)。その代わりに島周辺を航行する潮流体験ができることがわかり、博物館前から、能島城跡、船折瀬戸、見近島、伯方・大島大橋をくぐって戻ってくるこの潮流体験(所要時間は約40分)を楽しみました。この能島周辺は、潮の流れが非常に速く、早いところで時速17qと自転車のスピードくらいあり、川の中にいるような感覚になります。潮と潮が複雑に交錯して所々にうずしおや潮の激しいしぶきと音を発し、自然の素晴らしさを感じることができます。

潮流体験.jpg 能島という海城が天然の要塞であったことが良くわかります。エンジンもない昔に、彼らはこの難所を巧みな技術で船を操り自由に航行していたのだと想像すると、とてもロマンを感じました。島自体、外観上はっきりとした城跡は見られないものの、近づくとところどころに遺構が残っていることがわかります。こうして、村上水軍ゆかりの地を五感で十分に堪能し歴史ロマンに浸ることができました。

 訪問して知りましたが、現在開催中の「瀬戸内しまのわ2014」博覧会開催記念の企画として、6月28日から10月26日まで能島へ上陸観光ができます。

 最後に、観光をしていて残念だった点は、乗用車以外での交通のアクセスがとても悪いことです。私の場合、案内の通りに高速バスの大島バスストップを降りて、島内の路線バスに乗り継ごうとしても、30分以上待たされることを知りました。仕方なく、博物館までは徒歩で向かいましたが、50分ほどかかりました。島内の路線バスは、島人口の減少に伴い本数も減ったようで、1日に14〜15本ほどしかありません(高速バスとの接続を考慮していない)。帰りは、島内の路線バスを使いましたが路線バス同士の接続も悪く、大島バスストップまで(約3km)40分以上かかりました。当初は他の島にも点在する村上水軍ゆかりの地を巡ろうと考えていましたが、この2箇所の観光に相当の時間を費やしてしまい、さらに目的地まで向かうバス等の接続も悪く断念せざるをえませんでした。観光客向けに、しまなみ海道の島々に点在する観光名所を巡るループバスなどがあれば非常に便利だと思いました。ぜひ、車を持たない我々やシルバー層の観光需要を取り込むためにも、導入を検討してほしいものです。(観光ビジネス研究会 滝口 謙一)

 

travel_c3.jpg

Q1 村上水軍ゆかりの地は他にあるの?

A1 因島には、因島村上家にまつわる武具・遺品・古文書等を展示した因島水軍城、大三島には村上氏が氏神として崇めていた大山祇(おおやまづみ)神社や甘崎城跡、来島には来島村上氏の拠点であった来島城跡などがあります。

 

Q2 へ〜そうなんだ。村上水軍は戦国時代以降どうなったの?

A2 豊臣秀吉政権の1587年に「海賊禁止令」が出され、村上氏は瀬戸内における一切の海賊働きを禁じられ、その海賊衆としての働きができなくなり、毛利家の家臣として御船手(水軍)に転化するなどしていきました。

 

Q3 ところで、「瀬戸内しまのわ2104」ってなに?

A3 2014年3月21日から10月26日までの期間に、広島県、愛媛県の瀬戸内海の島しょ部臨海部を舞台に、瀬戸内に暮らす人々が自ら楽しみ、瀬戸内を訪れる人々が一緒に楽しめるイベントを通じて、人々の和で島々の輪をつなぐことを目指しています。花、サイクリング、海、食、アートなどをテーマに季節ごとに島々の魅力をPRするテーマイベントの他、県域や市町域を越えて統一テーマで展開する広域連携イベントなどが開催されています。

 

 

黒田官兵衛と備前福岡の地を訪ねて

 4月に、岡山県瀬戸内市長船で開催された「備前福岡の大市」を見学してきました。

備前福岡.jpg

 JR長船駅前でレンタサイクルを借りて、長船で開催された備前福岡の大市や周辺をゆっくりめぐってきました。地元の「備前福岡郷土館」では、資料に加えて、デジタル画像による中世の備前福岡の市についての詳しい説明を館長から直接聞くことができました。

 瀬戸内市は、岡山県の東南部に位置し、風光明媚な瀬戸内海に面しており、9年前に、牛窓町、邑久町、長船町の3町が合併して瀬戸内市となりました。地区ごとに著名な観光資源や名所があり、今年は瀬戸内国立公園80周年にあたるほか、黒田官兵衛ブームで関西圏からの観光客もたくさん押し寄せています。

 牛窓地区は、日本のエーゲ海のキャッチフレーズで有名な瀬戸内のリゾート地、ヨットハーバーやオリーブ園もあって若いカップルに人気のスポットでもあり、最近は映画のロケ地やアニメの舞台としても注目されています。牛窓港近くには大規模なリゾートホテルや観光協会が入る「きらり館」があり、瀬戸内の穏やかな空気が流れていました。また近くには朝鮮通信使の歴史を保存する「海遊文化館」があり、たくさんの関連資料も展示されていました。

 瀬戸内市役所がある邑久地区には、道の駅「ゆうゆう交流館」があり、地元産の新鮮な野菜や果物が販売され、館内では竹久夢二のイベントも開かれていました。この地は、美人画の「竹久夢二の故郷」でその生家が残されており、岡山市の竹久夢二記念館とともに、大正ロマンの夢二作品も展示されていることから、夢二ファンの観光客でにぎわっており、今でも十分通用するファッショナブルでかわいいモデル画には目を見張ります。

 長船地区には、中世の備前福岡の市が開かれていた地が残されていて、福岡の市の再興をめざして、活発に活動する地域の事業者や住民により、毎月第4日曜日に「備前福岡の市」が開かれ、地域の多くの住民でにぎわいを見せていました。また、備前長船の名刀を生み出した地域として、みごとな刀剣を展示する「刀剣博物館」があり、刀剣づくりの実演が見学できる興味深い館が併設されていました。外国人を含む旅行者の姿が多く見られたほか、ここの売店には備前長船の模擬刀など地域ならではのユニークな商品も販売されていました。(観光ビジネス研究会 加藤 弘治)


travel_c3.jpg

Q1: 備前福岡の市の福岡の地名は、九州の福岡と関係があるの?

A1: 現在の瀬戸内市長船町にあたる備前福岡は、中世ににぎわった商業都市で、黒田家とも関係が深く、黒田官兵衛の息子の長政がのちに九州に領地を得て、その地名を備前福岡の繁栄を再現しようと「福岡」と名付けました。

 

黒田高政の墓.jpgQ2: そうなんだ〜。でも、備前福岡と黒田官兵衛の関係はあるの?

 A2: NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」の曽祖父黒田高政は長船の出身で、菩提寺である長船地区の妙興寺には、黒田高政及び宇喜多興家の墓が残されていました。また、官兵衛も何度もこの地を訪れていたようです。

 

 

福岡の市跡.jpg

Q3:へ〜。備前福岡は、中世の商都「備前福岡の市」として賑わいたんだね?

A3: 備前福岡は、鎌倉時代の山陽道随一の商都で、人・モノ・金・情報が集まる福岡の地で、黒田家は力を蓄え発展しました。一遍上人の聖絵でも中世の「備前福岡の市」が詳細に紹介され、その賑わいの様子がみごとに描かれています。6月22日には、備前福岡の市100回記念のイベントが開かれ、これからの備前福岡の市の発展についての記念フォーラムが開催されました。

 

Q4: 最後に、地元の美味しい食べ物は何ですか?

 A4: 地元の農地で収穫した小麦を使った「一文字うどん」のお店は、備前福岡の市のすぐそばにあって、連日お客様で繁盛しています。地元小麦を石臼挽きしてうどんに使っているので、色はやや黒いですが、コシがあってとてもおいしいうどんに仕上がっており、地元の学校給食にも取り入れられることになったそうです。また、地元料理でちらし寿司の元祖といわれる「どどめせ」は、くせがなくとてもおいしくいただけました。

熊野古道 伊勢路

 熊野古道を歩いたことがありますか?多くの人が「聞いたことはあるけど・・・。いつか行きたい」と答えますね。今回は「熊野古道 伊勢路(いせじ)」をレポートします。

 一口に熊野古道と言っても、実はとても広範囲。京都・大阪・和歌山・奈良・三重にまたがっています。正式には「紀伊山地の霊場と参詣道」として2004年に世界遺産に登録されました。その中で「伊勢路」は、伊勢神宮から熊野三山に行くための参詣道であり、ほとんどが三重県内の海岸部を通っています。
kumanokodou1-2-rv2.jpg 歩いてみてまず感じる事は「海と山が近い!」ということ。急峻な山がそのまま海に落ちていきます。その山の中を古道が通り、10個以上の峠が2大聖地を結んでいます。十返舎一九作の滑稽本『東海道中膝栗毛』など本や歌には、信仰の厚いことを表して「伊勢へ七度熊野へ三度」と書かれています。回数から見ても、熊野への長旅は実現が難しいことが伺えます。

 峠と峠の間には、山と海の間に小さな集落があり、暖かい人が迎えてくれます。その1つの集落に住み、「語り部」をしているおじいさんの話では、熊野古道は巡礼の道であり、かつ地域の生活の道でもあったそうです。例えば、郵便配達人が峠を越えたり、魚屋が真っ暗な古道を桶を担いで行商に行ったり、子供達も通学路として使っていた、木を切り出す作業道として活用した、などなど。

kumanokodo1-rv2.jpg こんな話を聞くと、文化遺産として世界遺産登録されたこともうなずけます。簡単に言ってしまえば「人と自然の融合美」が評価されたためです。実際、古道の周りは緑が豊かですが、大部分が人工林でスギやヒノキが植林された森です。「だからこそ独特の美しさがある」と語り部の方は言っていました。

 古道は別に特別なものではありません。ただ道があるだけ。しかし、歩く旅は非日常に触れられるし、その時々しか起こりえないコト・モノに出会える可能性が高くなるような気がします。これから何回かに分けて、この地域を詳しくレポートしていきたいと思います。ご期待下さい!(観光ビジネス研究会 江口栄司)

京都の旅 東山界隈を巡る

 京都に住む人間ながら、京都市内の観光地、神社仏閣は小中学校時代に遠足などで行ったきりとなっていました。子供の日であるというのに今日は子供を妻の実家に預けていて、妻と二人で京都東山あたりを訪問しておいしいものを食べて帰ることにしました。

 京阪電車の祇園四条駅で降りて、霊山歴史館を目指します。途中、京都らしい風情のある道、かわいい小物を置いているお店、行列のできているお菓子屋さん、これが京都の観光地なのだなあ、という印象です。GWの真っただ中でもあり、雨が降っているのに本当に多くの人が歩いていました。

 霊山歴史館は、坂本龍馬のお墓にすぐ近いところに立地しており、急な坂道を登り切ったところにあります。この時期にしては気温が低かったにも関わらず、到着時には汗をかいていました。ここは、幕末維新ミュージアムとも呼ばれており、幕末期の資料が多く展示されているところです。ペリー来航、池田屋の事件など、当時の歴史を彩る人物などをわかりやすく説明・展示しており、それほど歴史に関心のない人(私や妻がそうです)でも興味のわく内容となっていました。


高台寺境内2.jpg 次に向かったのは、すぐ近くにある高台寺です。高台寺は特に紅葉で有名なところで、最近では季節になると夜間拝観もできるようです。高台寺の歴史は、豊臣秀吉の正室であったねね(後の北政所)が病死した秀吉を祀るために建立したところから始まると言われています。境内はとても広く、綺麗に整備されていました。要所にはそれぞれ解説のできるガイドを置いて、観光者への説明をしていました。アジアや西洋の人が流暢な日本語で説明されていました。京都や歴史建造物などに興味のある外国人留学生なのでしょうか。写真撮影禁止の場所で撮影をしようとした外国人に英語で注意をされていて、こういったところにも、観光ビジネスで人材を確保しやすい京都ならではの強みを感じました。境内の中にあった土産店では、ねねと秀吉のキャラクターのグッズが置いてあり、霊山歴史館でも竜馬などのキャラクターのグッズを扱っており、今は京都のどこに行ってもキャラクターグッズを作っているのでしょう。

 高台寺を出て、二年坂にある洋食のお店で食事をとりました。二年坂はもう凄い人の波でした。そんな中、少し露地に入ったところにある、ランチにしてはそこそこの値段のするお店でしたので、行列ができるような感じではなく、落ち着いて食事をとることができました。こんなところにも京都という観光地の懐の広さを感じました。

 さて、今回は子供を連れてこなかったので、少し落ち着きのある大人の小旅行を楽しめました。いろいろ観光地を見てきたと思っていましたが、あまり地元を改めて回ることはしていなかったため、今回は改めて、京都という土地の人たちはやはり観光ビジネスへの取組が秀逸であるという印象を感じました。また、機会を作って、京都を観光してみたいと思います。(観光ビジネス研究会 柿原泰宏)

 

travel_c3.jpg

Q1:東山のあたりだと清水寺が有名だね?

A1:そうですね。清水寺まで続く坂道になっている参道は、今回私の訪問したところからほど近いところですが、こちらよりもっと混雑していたでしょうね。それ以外でも、東山界隈では八坂神社、知恩院あたりが有名ですが、ここは大小いろいろな神社仏閣がひしめき合っている土地でもあり、京都でも観光客の一番集まる場所だと思います。

 

Q2:京都は昔から観光都市として有名だけど、インバウンドへの取組は?

A2:京都を訪れる外国人観光客は多く、彼らに対してきちんと情報が提供できているかというと、地域や行政をあげての取組もあって国内の他地域と比較するとかなり海外旅行者へ提供できる情報も情報を提供する仕組みや体制、設備はあるものの、十分な内容になっているとはまだ言えない印象もあります。ただ、高台寺のように、海外留学生などをうまく使って外国人旅行者へ対応しており、このようなインバウンドのための取組は、他地域でももっと実施されるべきだと思います。

京都の旅 随心院・大覚寺

随心院_2.jpg 京都の随心院は、襖の絵とか廊下とか、古典好きには堪らない

 和歌好きは、

  花の色は 移りにけりな いたづらに 

            我が身世にふる ながめせしまに

                                     (小野 小町)

 にテンションが上がりますね。

 そして小野小町といったら百夜通いでしょう百夜通いとは、“小野小町に想いを寄せる深草少将が求婚した際、「百夜、晴れて契りを結ぶ」という約束をされ、深草から山科までの約5kmを毎晩通い続けたが九十九夜目で失敗に終わる”という伝説(諸説あり)です。そんなうんちくを語ってみたり、深草少将が日数を数えるのに使ったとされる榧の実に感動してみたりと。

 

大覚寺_2.jpg そして随心院の後、嵐山まで足を運んで大覚寺に行きました。

 大覚寺は、廊下、欄干、濡れ縁、大沢池、格子戸、半蔀、襖と天井の絵、寝殿造に近い建築様式ということで、古典好きはテンション上がる要素盛りだくさんです。

 もちろん和歌にも関係しており、

  滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 

         名こそ流れて なほ聞こえけれ

                                    (藤原 公任)

  にも詠まれている名古曽の滝があります!ただし、公任さんが詠んだ時点で既に枯れていますので、現在では石ぐらいしか残っていませんが。

 さすが京都!和歌好き、文学好き、古典好きには、たまらない所です。(観光ビジネス研究会 岡村 善裕)

安土城跡を巡って

安土城_1.jpg 歴史上で最も好きな人物が織田信長、そして城巡りが趣味で日本百名城を現在廻っている私からすると、安土城跡を訪問することはマストです。4ヶ月前に東京から大阪に転勤になったこともあり、時間に余裕がある先日の日曜日を利用して安土城跡に行って来ました。

 

 大阪からはJR京都線に乗って、のんびり電車の旅。安土駅に到着。信長公の銅像が迎えてくれます。駅前でレンタサイクルを借りて、約10分。安土城跡の入口に到着。拝観料の500円を支払い、標高199mの安土山を登っていきます。

 

 安土城は、天下統一を目指した信長が天正4年(1576年)に重臣である丹羽長秀を総普請奉行に据えて築城させた平山城です。岐阜城よりも京に近い利便性があり、北陸・東海の要所でした。3年後の天正7年(1579年)に我が国で初めて天守閣(天主閣)をもつ安土城が一応の完成をみせました。ところが、天主完成から3年目の天正10年(1582年)に本能寺の変が勃発し、信長は自刃。混乱の中、安土城も天主などが焼失し、一夜のうちに落城しました。現在は石垣のみが残っており、特別史跡に指定されています。

 

安土城_2.jpg 199mの平山城ですが、階段の高さ・幅が不均一なのでかなり体力を消耗するので登山客は大部分が杖を使っています。大手道を登るとまず右に前田利家邸跡、左に羽柴秀吉邸跡が見えます。さらに階段を登ると天主跡周辺へ。織田信雄四代供養塔や信長公本廟が遺されています。天主跡は、今は礎石が1~2mおきに整然と並ぶだけですが、この部分に高さ33mの木造5層7階の天主が建っていたそうです。

安土城_34.jpg

(写真:左 - 織田信雄四代供養塔、右 - 信長公本廟)

 

安土城_5.jpg 下山途中に観たのが室町時代の建物である三重塔。特別保護建造物に指定され、重要文化財です。この先は以前の豪雨で通行禁止になっていました。

 

 天主跡から安土の街並みを見下ろすと、織田信長もこのように目前にした天下統一を夢見ていたのだろうと思いを巡らすことが出来ました。今や幻の城となった安土城。戦乱の世の舞台となった安土をのんびりと周遊するのはいかがでしょう?

(観光ビジネス研究会 長野 正毅)

 

 

 

 

travel_c3.jpg

Q1.安土で、安土城跡以外に織田信長に関連する観光スポットはあるの?

安土城_6.jpgA1.安土城天主最上部5階6階部分が原寸大に復元されている「安土城天主 信長の館」や信長と安土城に関する資料を豊富に展示している「安土城考古博物館」、中世の安土に関する資料を中心に集めた歴女向けの「安土城郭資料館」などがあります。

 

Q2.険しい道をたくさん歩くとお腹が減ると思うけど!安土でお腹が減ったら、どこで食べればいい?

安土城_7.jpgA2.私は安土駅前の蕎麦屋「さわえ庵」で、近江牛肉そば(1,000円)を頂きました。滋賀県の竜王町で採れた蕎麦粉を使っているそうです。お菓子は、同じ安土駅前の「万吾樓」で買いました。明治43年創業の信長ゆかりの和菓子の老舗だそうです。

那覇で、マラソン&食べ歩き

NAHAマラソン_2.jpg この数年間、12月の第1日曜日に開催されるNAHAマラソン出場のために沖縄県の那覇に旅行に出かけています。NAHAマラソンは、出場者が3万人という日本でも屈指の人気レースです。このレースの特徴は何と言っても、素晴らしい応援です。いろいろなエイドが公式・私設を問わず、沿道に並んでいます。また、応援の内容も多彩で、沖縄エイサー、YMCAのメロディを大音量で流す応援、ロックバンドによる演奏、あるいは沖縄の三線演奏によるカチャーシー、さらには沿道の一般応援の方々の沢山の熱い声援。しかも、これらが途切れることなく沿道を埋めています。この応援を感じたくて、毎年この大会に参加しています。昨年は大雨に見舞われたこの大会でしたが、今年はいい天気でありながらそれほど気温が上がらなく走りやすい条件ではなかったかと思います。何とか4時間以内にゴール。私にとっては記録より記憶を作りたいと思うレースのひとつです。

 毎年那覇に来ると、ついつい食べることにも夢中になってしまいます。今回もいろいろ行ってきましたが、そのうち二つのお店について書きます。

山羊刺身_2.jpg まずは、竜宮通り社交街にある「山羊料理さかえ」。ここは名前の通り、山羊料理がメインのお店です。夜9時頃に入店したのですが、かろうじてカウンターに一人が座れるほどのにぎわいぶり。山羊料理としては、刺身、山羊汁などいろいろあるのですが、今回は刺身を注文しました。たまたま隣席になった方に聞いた話では、山羊肉はかなり匂いがきついことが多いらしいのですが、このお店のは食べやすいとのことでした。お店の中は活気があふれていて、特に元気で声が一番大きいのがここのお店の女性店員さん。沖縄の女性は働き者が多いと聞きますが、まさしくそんな印象で、忙しく動き回りながらもとても気持ちのいい対応をして頂きました。

おでん_2.jpg 次に向かったのは、栄町にある「おでん東大」というお店。夜の9時半にならないと開店しないお店です。入店したのは既に23時近くでしたが、ここもほぼ満員。おでんを注文しました。沖縄のおでんには、てびち(豚足)が入るのが特徴です。このお店では、焼きてびちも有名なのですが、大人気メニューのために注文してから出てくるまでに時間がかかるということで今回は断念しました。

 マラソン大会のために地方に出かける楽しみには、レースそのものの良さとその土地の雰囲気やまちの様子、それから土地ならではの食べ物があります。それはその土地を訪れる人にとっての「おもてなし」につながると考えています。沖縄には、それらをいずれも満たしてくれる「おもてなし」の空気や心があるのだと思いました。(観光ビジネス研究会 柿原泰宏)

travel_c3.jpg

Q1: 沖縄って、暑いところなのにマラソンレースがあるんだね?

A1: 沖縄では、フルマラソン、ハーフマラソン、ウルトラマラソン、トライアスロンなどを合せると、30近くのレースが開かれています。NAHAマラソンはその中でも29回目という歴史があるのですが、もともとは県民のためのレクリエーションという性格が強いレースで、初のマラソン出場という参加者が多いのも特徴になっています。

Q2:へえー、私も出てみようかなあ。他にも特徴のある大会はあるの?

A2:いろいろあります。伊平屋島で開催される伊平屋ムーンライトマラソンは、フルマラソンが15時、ハーフが17時の夕方スタートで、平均的なランナーですとゴールの時間が夜になるというレースです。 沖縄市で開催されるおきなわマラソンは、米軍嘉手納基地の中を走るコースがあります。

Q3:なるほどね。でも、沖縄の食文化って独特だね。豚足って食べたことないなあ。

A3: しっかりとトロトロになるまで煮込んであるので、食べてみると脂っぽくなくてとてもおいしいです。コラーゲンたっぷりなので、美容にもいいみたいですよ。

チェック

築地散策

tsukiji_ishiba.jpg 東京の市場と言えば、築地市場です。

 路線図では、大江戸線(都営線)の築地市場駅、日比谷線(東京メトロ線)の築地の近くにあります。上野駅から1本で行けますが、東京駅や品川駅からは1回乗換が必要で、ついでにチョッと寄ろうとすれば、一手間あります。しかし、十分に楽しめる場所と思います。

 築地場外市場は、地元の買い物客や観光客、とりわけ海外からお客さんが大勢いて、大賑わいです。

朝早くからお美味しいものが食べられるので、朝は胃に優しく、昼はガッツりと食べては如何でしょうか?

 ところで、”築地”とは、埋立地を意味します。江戸時代の明暦の大火(1657年)に焼失した江戸浅草御坊(現在の築地本願寺)の移転のために、摂津国(大阪)佃村の漁師が開いた佃島にいた住民によって、この土地が造成されました。その後に、寺院や墓地が次々と建設され、他の地域には武家屋敷も多く建ち並びました。江戸末期には、軍事力強化のため海軍関係の施設が作られました。また、明治は、武家屋敷に変わって、外国人居留地やアメリカ公使館が置かれ、文明開化の窓口役を果たしていました。

 そこで、築地市場〜勝鬨箸〜佃大橋〜歌舞伎座あたりを”腹ごしらえ”や”食後の運動”に散策しては如何でしょか?

ちなみに、次のようなところがあります。

tsukiji_honganji.jpg

 ・海軍発祥の地

 ・築地本願寺

 ・おさかな資料館

 ・勝鬨橋

 ・慶応義塾開塾の地

 ・蘭学事始の地

 ・電信創業の地

 ・東京税関発祥の地

 ・指紋研究所発祥の地

 ・アメリカ公使館跡

 ・明治学院発祥の地

 ・佃の渡し跡

 ・靴業発祥の地

 ・全国宝飾資料館

 ・浅野内匠頭邸跡

 ・芥川龍之介誕生の地

 ・活字発祥の地

 ・専修大学発祥の地

 ・歌舞伎座

 他にもたくさんあります。

 1日以上十分に楽しめます(観光ビジネス研究会 岡村 善裕)。

travel_c3.jpg

Q:築地で美味しく食べた食事を教えて!

A1:朝ご飯は、お腹に優しい鳥藤の親子丼(塩)です。朝からガッツリでもソフトに頂きました。

torifuji_n.jpg

A2:お昼ご飯は、築地市場らしい鈴木水産のウニ定食です。ウニがてんこ盛りで堪能しました。

tuzuki_suisan.jpg

チェック

大和三山の性別は?

今年、相次いで大和三山に登りました。

藤原京を中心に二等辺三角形の線で結ばれる大和三山、盆の上に三つのお椀を几帳面に並べて伏せたようなたたずまいは、まことに意味あり気な風景です。

大和三山を読み込んだ万葉集にある次の歌はあまりにも有名ですが、僕は今回の三山めぐりで、この歌が頭から離れませんでした。

 

「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも つまをあらそふらしき」

 

この歌の作者は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)とされています。

中大兄皇子が大海人皇子(おおあまのおうじ)と額田王(ぬかたのおおぎみ)を巡って争ったことを、伝説になぞらえて詠んだものだという通説があり、僕もこれをそのつもりで三山を考えていました。つまり耳成山、香具山が男性で、女性の畝傍山をめぐって争ったという解釈です。

 

大和三山_2.jpg

今回、三つの山を間近に見て、実際に登ってみて分かったことですが、高さの一番高い山は畝傍山で標高199m、次に香具山で152m、三番目が耳成山で140m(いずれも小数点以下四捨五入)となっています。次に山の形でみると、見る角度によって畝傍山は少し片方の肩が持ち上がっている感じ、香具山は少しペチャっと横に広がっている感じ、耳成山は左右対称で整っている体形となっています。実は畝傍山がこれほどの高さであるということは、この歌から来る僕のイメージとは異なるものであり少し驚きでした。

そこで考えたことは、昔の(古代の)女性はその存在が結構大きくて、その象徴として三山の中の一番大きな畝傍山を女性と考え、これを二人の男性が争った。古代の女性の魅力は強さ、大きさ、逞しさにあったのではないか、との仮説です。

 

あらためて、識者の解説を読んでいると“額田王を巡って二人の皇子が争ったという解釈はしない方がよい。あまりに現代風に過ぎる解釈だ。この歌は、二人の女性が一人の男性を争った、という解釈をするべきだ”という説がありました。

 

この解釈を前提にして考えると、三つの山の印象が変わってきます。感覚的ですが、耳成山は清楚な可憐な山、香具山は少し熟女っぽい山、畝傍山は美しく雄々しい男性の姿をした山ということになります。そして、“二人の女性が一人の男性を・・・・・”という解釈の方が正しいのではないか、僕にはこの説の方が、納得がいきます。

 

ちなみに、

“畝火ををし”を“畝火を愛し“とする解釈と”畝火雄々し“という解釈と両方あるようです。また“つま”というのは古語辞典によれば、‘妻’‘夫’どちらの意味もありますので、これは判断材料にはならないようです。

 

皆さんはどう思いますか?(観光ビジネス研究会 河合眞起人)

 

チェック

横須賀 海軍カレー巡り

 横須賀市は、神奈川県南東部の三浦半島に位置する人口41万人の中核市です。

三笠.jpg 東京湾の入口に位置するため江戸時代から国防の拠点とされ、嘉永6年(1853年)には久里浜にペリー率いる黒船が上陸、以降も大日本帝国海軍横須賀鎮守府を擁する軍港都市として栄えてきました。市の中心部にある三笠公園には、明治38年日露戦争時の日本海海戦で活躍した戦艦「三笠」が世界三大記念艦の一つとして保存されており、当時の面影を残しています。

 現在はアメリカ海軍第7艦隊横須賀海軍施設および海上自衛隊自衛艦隊・横須賀地方隊の基地が置かれるなど引続き軍港都市としての姿を維持しています。

ケーキ.jpg この横須賀市においてまちおこしを兼ねたグルメと言えば、「よこすか海軍カレー」、「ヨコスカネイビーバーガー」、「YOKOSUKAチェリーチーズケーキ」が挙げられます。この中で最も知名度があり、市民生活にも定着している「よこすか海軍カレー」についてレポートします。

 明治期の日本海軍は食事の栄養バランスが悪く改善の必要がありました。そこでイギリス海軍の献立からカレーシチューを取り入れ、日本人の主食である白米に合うようにアレンジしたのがカレーライスの始まりです。海軍と縁の深い横須賀市では、平成11年5月「カレーの街横須賀」を宣言し、当時の海軍レシピを元に「よこすか海軍カレー」を誕生させました。「よこすか海軍カレー」は原則として横須賀市内でしか提供できないことになっており、現在26店で味わうことが出来ます。

 横須賀市では、市立小学校などで「全校一斉カレーの日」を設けたり、日本最大級のカレーイベントである「よこすかカレーフェスティバル」の開催やゆるキャラ「スカレーちゃん」の誕生など、カレーの街としての取組・PRを積極的に行っています。

  さて、この夏休みを利用して、一日海軍カレーツアーを敢行して来ました。

 「よこすか海軍カレーガイドマップ」を片手に最初に訪問したのが、追浜にある『杏の花』です。カレー専門店ではなく。日本料理や中国料理の単品も同じテーブルで同時に提供するお店です。ここでは横須賀海軍カレー(680円)を注文。中辛とのことですが、辛さはそこまでないです。海軍カレーの共通点として、一般的なカレーの辛さより1〜2段階は下がるイメージです。

 2軒目は横須賀市役所の地下にある『開国亭』です。ここの海軍カレー(700円)は濃厚な味が特徴。通常のカレーライスが350円ですから、かなり割高にはなりますが、レシピ通りに調理する必要があることから手間賃でしょうか。

 3軒目は、前述した横須賀3大グルメが一緒に味わえるお店『YOKOSUKA Shell』でよこすか海軍カレープレート(1,000円)を注文。ここも濃厚ですが、スパイスが前の2店より効いていて、最も自分好みの味でした。2軒目のお店にも共通しますが、海軍カレーに牛乳やサラダをセットに出すお店が多いです。これは当時の海軍で艦内の乗組員の栄養バランスを考えて副食として出していた名残だそうです。

 カレーライスは思いのほか胃にずっしりと負荷がかかったため、3軒のみの訪問でしたが、それぞれのお店で特徴があり、美味しさもまた違ったものでした。現在レシピに則ったレトルトカレーで数種類の海軍カレーが全国のスーパーや百貨店などで販売されています。是非一度ご賞味あれ。(観光ビジネス研究会 長野正毅)

travel_c3.jpg

Q1 : 食べ歩いた横須賀海軍カレーを紹介して!

A1 : 喜んで!美味しかったですよ!

1軒目の『杏の花』 横須賀海軍カレー

杏の花.jpg

 

2軒目の『開国亭』 海軍カレー

開国亭.jpg

 

3軒目の『YOKOSUKA Shell』 よこすか海軍カレープレート

YOKOSUKA.jpg

畝傍山界隈よくばりハイキング

畝傍山.jpg 3月の初め、「第二回奈良食祭」が奈良県橿原公苑で催されるというので見物に行きました。手元のガイドブックによると、この公苑は大和三山の一つ、畝傍山の近くにあり、周囲には橿原神宮をはじめ多くの名所旧跡があるので、もし時間があれば近隣を歩くのもいいなと考えました。地図は目的地駅に行けば何かあるだろうとほとんど下調べもしないまま、小型の簡便な『奈良県の歴史散歩』というガイドブックのみ携えて家を出ました。当地の駅にいけば備え付けの「駅近隣名所マップ」があるだろうという期待もむなしく、(考えが甘かった)、結局、近所の人、通りすがりの人と案内看板、標識を頼りに歩くことになりました。

食祭会場.jpg  近鉄の「畝傍御陵前」駅を降りると「奈良食祭」の幟(のぼり)に誘われて徒歩10分ほどで食祭会場に着きました。50店ほどが出展している食祭会場をひと通り見て、「南部せんべい汁」に軽く舌鼓を打ち(奈良の食祭に遠い東北からわざわざ出店していました)、時間を見ると11時30分、まだ十分に時間があります。

 案内看板の地図により、この界隈には第一代の神武天皇に始まって第四代までの天皇陵が近辺にあると知り、天皇陵めぐりをしようと決めました。一説によると第二代綏靖天皇から第九代の開化天皇については欠史八代と呼ばれることもあり、古事記や日本書紀に名前は載っているものの具体的な事績が残されていないので、何らかの理由でこの八代は架空に作られたのではないかともいわれており、その陵墓について興味が湧いたからです。

イトクの森古墳.jpg 地図の上では一番近そうなのが懿徳(イトク)天皇陵だったのですが、道がわかりません。食祭会場の案内所で道を訊ねましたが、あっちだ。いやこっちだろうと、要領を得ない。会場を出て西に向かい125号線(緑豊かなきれいな広い道路です)に出るその手前の公苑事務所の前で地元のお兄さんに聞くと、即座に「懿徳天皇陵ですか?それならこの道を渡って橿原神宮の参道の一本北の道を10分ほど行くと進むとありますよ。」とさわやかな調子で案内されました。その通りに歩くと「イトクの森古墳池田神社」と書いてある。でも懿徳天皇陵とは違うじゃない!

 周囲を見渡すと、さきの大戦で散った予科練性など若者たちの英霊の慰霊碑がある「若桜友苑」がありました。

 ビニールのショッピングバッグをぶらさげた年配の地元の人らしき男性に懿徳天皇陵への道筋を再び訪ねると、「かなり回り道になりますけど」といいながら、「このあたりの道はちょっとわかりづらいのですよ。だから、私はこのあたりの地図を作ったところなんです。持ってきてあげればよかったな。少し先まで案内しましょう。」と、狭い道を大谷東日女神社まで5、6分わざわざ案内してくれました。「これから先は、標識があるから多分大丈夫です。迷いそうなら、人に訊いてください。」と言って元の道を戻っていきました。

安寧懿徳.jpg このあとは、畝傍山頂に登って耳成山を望み、西裾野にある畝火山口神社に下り、山の西南裾に位置する第三代安寧天皇陵と第四代懿徳天皇陵さらに南裾の橿原神宮を通り、再び食祭会場を通って、北北東の第二代綏靖天皇陵最後に、少し戻って神武天皇陵、そして最後に橿原考古学博物館と畝傍山周辺の名所旧跡殆どを廻るという仕儀になりました。

 特に印象に残ったのは、期せずして畝傍山の山頂に登れたこと。それに、久方ぶりに橿原神宮の壮麗さにふれたこと。橿原考古学博物館で説明員の方から飛鳥を中心とした教科書には出ていない活き活きとした古代歴史話を聞けたこと。

 終わってみれば、畝傍山に登頂縦断して、そのすそ野を4分の3周したわけで、足は疲れましたが、予想外の楽しい旅になりました。

 もとはといえば公苑事務所の前で懿徳天皇陵への道筋を間違えて教えてくれた若者に始まり、イトクの森で出会った正しくガイドをしてくれた親切な男性のおかげでした。この男性によると「土地の住人でも、このあたりの名所旧跡を知らない人は案外多いですよ」とのことでした。旅先で地元の人と触れ合いながらうろつくのも楽しいですね。(観光ビジネス研究会 河合 眞起人)

travel_c3.jpg

Q1:畝傍山の周辺に天皇陵がかたまっているのはなぜ?

神武天皇陵.jpgA1 : 第一代の神武天皇が九州から東征して大和を平定し、当時の先進地域の一つである橿原の地で即位し、支配権を確立したと考えられており、現在の橿原神宮の境内に宮があったといわれています。

 第二代綏靖(すいぜい)天皇のときには、橿原市の隣の御所市に宮があり、第三代安寧天皇のときには橿原市四条の北に、第四代懿徳天皇にときには同市大軽町にそれぞれ宮を置いたという説があり、いずれにしても畝傍山の近辺で政治を行ったことによると考えられます。神武天皇陵は一番立派でした。ちなみに橿原神宮は、明治23年にこの地方の篤志家達の努力で神武天皇を祀る神社として創立されました。2月11日の建国記念日は大変にぎわうとのことです。

 

Q2 橿原考古学研究所付属博物館ではなにが面白かったの?

橿原考古博物館.jpgA2 : 4代の天皇陵を訪ね終えて、駅に戻る道で考古学研究所付属博物館の看板が目に入ったのが15時でした。今からでも1時間はみられるということが分かって入場しました。

 この博物館では、奈良県下で発掘された旧石器時代から中世までの文化遺産を中心に展示しています。入ってすぐ15分の案内映画を見て奥に進むと大和平野のジオラマ。さらに中には大和の石器展。中には年配者集団が議論しながら見学していました。サヌカイトや流紋岩など大和盆地には、石器の素材が沢山あり、かなり石器が進んでいたらしいなどと考えながら奥に進むと、説明員が居て説明を聞くことができました。展示物を見ながら、神武帝の東征時のエピソード、江戸時代の学者が決めた御陵名と埋葬者の関係が結構いい加減なものが多いらしいとか、御所(ごせ)遺跡のすごいこと。葛城氏は相当の力を持っていたらしい。ぜひ行ってみてくださいとのこと。などなど、先ほどまでにぎやかにしていた見学者たちが去った後、贅沢な時間を独り占めしてしまいました。発掘品だけを見ていたのでは、よほどのマニアでない限りは「ふーん」で済んでしまうかもしれませんが、説明を聞いていると発掘展示物が活き活きと見えてくるから不思議ですね。

 

Q3 ところで、肝心の「第二回奈良食祭」の方はどうだったの?

A3 : さっき「南部せんべい汁」を食べたって言ったでしょ?実は、畝傍山からの帰り道、もう一度食祭の会場を通った時に、今度は「奈良のものを食べましょう」と思って、「大和牛丼」というのを食べることにしました。

 テーブルコーナーがあるので、そこで発泡スチロール容器の牛丼を食べ始めたら、隣に60才半ばくらいのおじさんが座ってバターラーメンというのを食べ始めた。それで僕に話しかけてきた。「その牛丼、どうでっか?500円?もひとつみたいやな。わしも牛丼が好きでよう食べるけど、街の280円のはうまいなぁ。あれはエーで。」

 僕の食べている大和牛丼は、ご飯も少ないし、ペラペラ肉が申し訳程度に載っている。味はちょっと濃い目。しかしどうも貧弱すぎる。

 「わしは、今日鰹節の店を出しとんのやけど、(このおじさんは出店者だったのです。)よう売れてまっせ。品物が切れたらいかんので、2回家に帰って補充したんや。きょうびのお客さんは、目や口が肥えてるさかい、変なものだしたらそっぽ向かれるわ。とくにこんな祭のときは、エエモンを安く出してお客さんによろこんでもらわんといかん。」

  僕もその通りだと思いました。ご当地食祭となれば、地域を食で宣伝する場でもありますから、まずは、特徴ある美味しさがほしい。そして値段もそこそこでなければならない。そうでないと、奈良の食べ物は、まずい、高いということを宣伝することになる。この食祭では、値段で言えば一品もう50円から100円くらい安いくらいが丁度よいのではないか、と思えるような店が多かったです。いかにもこれで儲けてやろうという魂胆が見えているような・・・。これでは、「また行こうかな」っていう気分にはなりません。

 ちなみに、一番お客さんが並んでいたのは、アユの塩焼き売り、青森のリンゴ、地元の野菜のようでした。

初春の福井と敦賀をめぐってきました

 少し前ですが、春を感じたくなり4月に「福井と敦賀」をめぐってきました。

 

 JR福井駅は真新しく立派な駅舎で、駅の裏側にはフードコート「越前市場」や広大な「市立桜木図書館」がある近代な多目的ビル「アオッサ」も立派でした。

 

福井城跡.jpg JR福井駅からすぐのところに、初代福井藩主結城秀康が築城し270年間の松平家の舞台となった「福井城址」があって石垣とお堀が残っており、十分に存在感を感じさせてくれました。

 

 

 

 

足羽神社.jpg 福井市の自然のシンボル的存在として市民に愛されている「足羽山」は、四季の草花や木々が美しい散策コースで、「足羽神社」本殿前にある天然記念物、樹齢350年のシダレザクラは、美しく清々しい桜の花をいっぱいにして、しばし来訪者の足を止め感嘆の声を上げさせるだけの迫力がありました。

 

 

 

 中心部を流れる足羽川も福井市の代表的名所です。「足羽川桜並木」は「日本さくら名所100選」の一つで、きれいに整備された川沿いの2.2kmにソメイヨシノが600本、一本一本がきちんと手入れされた豪華な桜並木は素晴らしい景観です。市民が自慢するだけのことはあるみごとな桜の名所で、お花見客が地元市民だけでなく全国から来訪するのも納得できました。

 

柴田勝家・市の墓.jpg 福井市内にある天台宗の「西光寺」は柴田勝家の菩提寺ですが、狭い境内の隅にひっそりと「柴田勝家とお市の墓」がありました。ご存知の通り、織田信長の重臣柴田勝家は、賤ケ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れ天正11年(1583年)4月に北ノ庄城が落城、勝家とお市は自害して果てました。猛将とよばれた戦国の武将柴田勝家と織田信長の妹であるお市を思いつつ、手を合わせると、何か侘しさを感じ、さみしい気分になりました。戦国の英雄をもう少しきちんとした形で祀ってあげられないものでしょうか。

  辞世の句は、勝家が“夏の夜の 夢路はかなき跡の名を 雲居にあげよ 山郭公”お市が“さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな”で、ふたりの仲はとてもよかったことを感じさせます。

 

 福井からの帰りに敦賀に立ち寄りました。日本海側最大級の魚市場「日本海さかな街」でおいしいお寿司を食べて、魚を買って帰ろうと思ったからです。

  JR敦賀駅は大きくて立派な駅舎でびっくりしました。北陸新幹線が金沢から延伸されることを見越した駅づくりなのだとすぐに気づきました。

 

 敦賀駅から「日本海さかな街」行のバスの本数は平日で4本と少なく、タクシーで15分ほどかけて行ってみましたが、これは期待外れでした。地元の水産業者が70店舗ほど集積した狭い魚市場でお客も少なかったのですが、試食を勧めてしつこく客引きをする店舗ばかりで、押し売り感が強く、とても買いたい気分にはなれませんでした。商品もどの店もほとんど同じような品ぞろえで特徴がなく、値段ばかりが高くてがっかりしました。買い物を楽しむというより呆れて白けてしまい、個人客が行くところではないと感じました。

 この施設内にお寿司屋さんがあったので入りましたが、こちらも期待するほどの味ではなく、お昼なのにふたりで8千円位と、値段ばかりが高いと感じました。やはり、もう一度来たいと感じさせてもらえませんでした。

  お客より自分たちの都合を優先していることが見えてしまうような事業運営、顧客満足を軽視した接客や売り方では、衰退の道に向かわざるを得ないと思われます。旅行業者と提携して観光バスを誘致、団体客からの購買だけを追求するようなビジネスモデルでは、お客様の心はつかめないことに早く気づいてほしいものです。(観光ビジネス研究会 加藤 弘治)

travel_c3.jpg


Q1: 柴田勝家は、織田信長の家臣ですよね。

A1: 戦国武将の典型的な猛将といわれていますが、織田信長の重臣として、忠実に仕えた家臣、おそらく不器用で一本気でありながら、心の優しい男だったのではないでしょうか。

 

Q2:ところで、織田信長の妹“お市”は、夫婦だったのですか?

A2:お市の方は戦国武将である織田信長の妹です。お市の初婚相手は、浅井家の浅井長政で、後に織田信長により攻め滅ぼされましたが、長政とお市の間には3人の娘(茶々、初、江)が誕生しています。その後お市は織田信長の重臣である柴田勝家と再婚しました。勝家はお市と3人の娘を大切に庇護したといわれています。

 

 

門司・下関 関門海峡を巡る旅

 家族で門司、下関を旅行してきました。まずは、大阪南港からフェリーに乗り、新門司港まで移動です。フェリーは夜7時50分出航し、翌朝8時に新門司港へ到着します。飛行機なら大阪から福岡まで1時間20分、新幹線を利用すれば、新大阪から小倉まで2時間半。仕事での出張なら、もちろんこのいずれかを利用したと思いますが、今回は自動車に乗らないのですが、あえてフェリーを利用することにしました。船の旅には、その魅力のひとつに普段は見られない海上からの夜景や星空を眺めることができることがあり、それを期待してのことでした。この日は雲が少し多くて残念ながら星空を見ることはできませんでしたが、明石海峡大橋の綺麗なイルミネーションなど夜景を堪能することができました。

 翌朝、新門司港で下船後、門司まで移動です。JR門司駅は、その外観も駅のホームもレトロな風情で私たち観光者を迎えてくれます(平成30年3月までは補修工事中です)。レトロな制服姿の駅員の方々も、感じのいい挨拶をしてくれて、気持ちよく旅行をスタートすることができました。

kakihara201308_2.jpg

 門司港レトロ観光列車(北九州銀行レトロライン「トロッコ潮風号」)というトロッコ列車に乗ると、レトロな建造物を見ながら門司の街中を抜けて関門海峡まで行くことができます。そして、そこから徒歩で関門トンネル人道を渡ります。関門トンネル人道の入口からエレベーターに乗ると、60メートルの深さまで下りていきます。関門トンネル人道の上を車道が通っている構造となっているそうです。

 

kakihara201308_3.jpg

 トンネルの中は外の気温に比べると低いので、真夏でもそれほど暑くなく歩いて渡ることができます。全長は780メートルですので、ウォーキングやジョギングしている方も多く見かけました。トンネルの中には、福岡県と山口県の県境があり、記念写真の撮影スポットとしても人気があるようです。

 トンネルを出ると、そこは壇ノ浦です。そこからさらに唐戸市場まで移動して、そこでお昼ごはんを頂きました。地元の海の幸を使ったお寿司はとても美味しいものでした。下関はふぐが有名なところですが、鯨肉を使ったお寿司などもメニューにありました。下関は古くから捕鯨と縁のある町なのだそうです。唐戸市場の近くには、カモンワーフという食事やショッピングのできる施設もあります。この辺りからは対岸にある門司の街を見渡すことができ、関門連絡船に乗れば5分で下関へ移動できます。ここからは、巌流島にも行く船も出ています。

 関門海峡は、壇ノ浦から巌流島の時代、幕末、近代といろいろな歴史の舞台となった土地であり、それぞれの時代を感じることのできる史跡や施設が多く残っており、歴史の交差するところという印象でした。(観光ビジネス研究会 柿原 泰宏)

travel_c3.jpg

Q1:門司に行くなら、お薦めはどこかな?

kakihara201308_1.jpgA1:門司は、明治から昭和初期のレトロのイメージによるまちづくりをしている地域ですので、その時代の施設が各所に残っています。また、街の観光の中心施設として作られた海峡ドラマシップ(関門海峡ミュージアム)は、関門海峡を一望できる施設で、海峡レトロ通りという大正時代をイメージしたゾーンもあります。九州鉄道記念館は昭和レトロな鉄道に関する資料を集めた施設、黒川紀章氏設計の門司港レトロ展望台といった見どころなども多くあるので、時間をかけて回ってみるのがよいでしょう。

 

Q2:なるほど、もっと古い歴史にまつわるところも多いようだね?

A2:壇ノ浦は源平合戦にまつわる古戦場であり、壇ノ浦を中心とした源平合戦にまつわる下関の赤間神社や門司の和布刈神社、また幕末期には長州藩が外国船を砲撃した場所でもあり、そんな歴史がわかる公園もありました。宮本武蔵・佐々木小次郎で有名な巌流島なども有名ですね。

 

Q3:最後に、そのあたりには、おいしいものはなにがあるの?

A3: 関門海峡はたこが有名です。下関はふぐ(「ふく」と呼ばれます)、鯨、あんこう、それにとんちゃん鍋などです。そして、門司では焼きカレーが有名で、街中を歩くとカレーの香りがどこからかしてきます。

世界遺産奈良春日原始林を歩きました

 青葉の美しい梅雨晴れの一日、近鉄奈良駅から奈良公園を斜めに通り抜け、南の遊歩道入口から、春日原始林の東縁を回る春日奥山道路を経由して若草山に至るコースを歩きました。

 

鹿苑の子鹿_vr3.jpg 朝の奈良公園では、つぶらな目がかわいい鹿の子模様の小鹿たちが緑の草を食んでいる姿があちらこちらにありました。「今年生まれた赤ちゃん鹿はもう少し先に行くと11時からみられるよ」と鹿せんべい売りのおばさんが説明してくれました。

 

 

滝坂の道web2_rv2.jpg 南の遊歩道というのは旧柳生街道で、かすかにピアノの練習が聞こえてくる静かな住宅街のなかを10分ほど歩くと、能登川のせせらぎが聞こえる林の中に入ります。滝坂の道という鬱蒼とした石畳が続きます。顔を上げると
木々の間に日に照り映える鮮やかな青葉が見えます。

 ゆっくりとした登り道で、行き交う人もほとんどなく思い出したように鎌倉、室町時代の石仏たちと出会います。印象的だったのは大日如来が横に刻まれた寝仏(ねぼとけ)石で、傍らに会津八一の歌碑がありました。歌に寄せる作者の心情がじかに伝わってきました。

 「かけおちて いは(岩)のしたなる くさむらの つちとなりけむ ほとけかなしも」

 登り坂に辟易し始めたころに、柳生方面との分岐点、荒木又衛門が試し斬りしたという「首切り地蔵」があります。ここを左折して、行き交う3人連れの熟年女性達や単独行の若い男性などとあいさつを交わしつつ、広めの道を10分歩いたところに芳山(よさん)交番所があります。(誰もいませんでしたが)

春日道路web2_vr2.jpg これから先は春日奥山道路で自動車道です。原始林というから手付かずの森林と思いきや、枝打ちや間伐など手入れが行き届いていることがよくわかります。心地良い大きな緑のトンネルが続きます。若草山までの間に行き交った乗用車は3台と少なく、バイクは2台ずつ3組ほどでした。バイクの音はこの道路には全く似合いません。

 さて、木々の緑を堪能しながら40分歩いたところで、右階段をのぼれば興福寺別院鶯滝歓喜天、左に階段を下りれば鶯の滝という標識がありました。まずは歓喜天にご挨拶をと階段を上がると、建物は古い鐘楼のみで梵鐘は外され荒れ放題の様子。突然その鐘楼の建物の中でガタガタッと音がしました。人や生き物が中に居るのならその気配もあるだろうにと、そばまで行ってしばらく耳を澄ましましたが、それっきり。「まさか昼の日なかにモノの怪でもあるまいに」と思いつつも扉を開けて中をあらためるのも気味悪く、そろりそろりとその場を離れました。一体あれは何だったのだろう?

鶯の滝web2_rv2.jpg 「鶯の滝」は自動車道から階段をかなり下がったところにあり、10mにも足りない小さなめの滝ながら汗をかいた身には心地よく、滝の前で遅めの昼食。ここは緑の奥山道路をドライブする人たちも必ず立ち寄るスポットらしく家族連れが2〜3組来ていました。

 さて、この先目指す若草山頂まで2.1kmという途中の標識に元気をもらって、30分ほどでようやく若草山山頂へ。緑の木陰の長いトンネルを抜けて、いきなり見晴らしの良い若草山の頂上(342m)で涼しい風に当たりながら奈良盆地を眺望する気分は格別でした。(観光ビジネス研究会 河合秀彌)

 

travel_c3.jpg

Q1:春日山原始林はどうしてできたの?

A1:奈良の春日大社の東には御蓋山(みかさやま)、花山があり、昔から春日大社のご神山とされてきました。標高498m広さは250haあり、この一帯山地は春日山と呼ばれています。聖域として1千年以上も前からの禁伐採林として大切にされてきた結果、今の自然が残っています。大正13年に天然記念物、昭和30年に特別天然記念物に平成10年には世界遺産に登録されました。(奈良しみんだより参照)

 

Q1:そうなんだ!春日山原始林散策の魅力はどんな所?

案内板web2_rv3.jpgA1:何と言ってもこれほど町の近くに原始林があるということ。175種類の樹木、598種類の草花、10種類の動物、60種類の鳥類、1180種類の昆虫も豊富です。(奈良しみんだより参照)森林自体よく整備され、様々な自然との触れ合いができることだと思います。道路、案内板も充実しており、要所にトイレも完備しています。季節によってはマムシや山ヒルもいるそうですが、道を外れなければ安全でとても良い観光ハイキングコースです。春は若葉、夏は青葉、秋は紅葉など折々の季節が

楽しめることでしょう。

 豊富な自然を専門的に楽しむ一方で蔓性植物も多いので、面白い恰好をした樹木を見つけるのも面白いと思います。売店なし、自動販売機もなし、すっきりしているのが、よいと思いました。

 

Q3: 石仏も有名なんだって?

A3:そうなんです。旧柳生街道は、剣豪の里、柳生に続く道で、かつての剣豪も通った道です。今回の道筋には、寝仏石、夕日観音(夕日を浴びて神々しい)、朝日観音(朝日に真っ先に照らされる)、春日山石窟仏、地獄谷石窟仏などがありましたが、首切り地蔵からもっと先、柳生への道には、平安時代、鎌倉時代、室町時代の作とされている沢山の石仏があり、多くの石仏の愛好家や写真家たちも訪れた道です。いずれご一緒しましょうか?いかがです?

 

Q4:ところで、「みかさ山」ってふたつあるの?

若草山頂web2_vr3.jpgA4:若草山は山頂部分は標高342mでこれを三重目と言っています。この下に二重目、一重目とあり、三つの菅笠を伏せて重ねた見えることから俗に三笠山と呼ばれています。一方、春日大社の後ろにあるご神山は御蓋山(みかさやま)です。両方とも「みかさやま」というのでややこしいです。もう一つややこしくしているのが、安倍仲麿の歌「 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」です。

 「春日なる」とあるから御蓋山の方だと思うのですが「三笠の山」なのです。奈良市役所にお伺いしたら、一時期は若草山を「三笠山」と呼んでいた時期があったが、今は、正式には、若草山は「若草山」であり、「三笠山」といえば、春日大社のご神山を指すということです。

高取町(奈良県)の旅

 仕事でいろいろな場所に行きますが、ほとんどが日帰りなので、観光をする時間はほとんどありません。しかし、駅にある観光案内をチェックしながら隙間を狙ってプチ観光をよくします。

 今回は、奈良県の高取町です。ここには、数多くの古墳があり、奈良のくすりの町で、日本一の山城である高取城や壺阪寺があります。

takatori-cho2.jpg このくすりの町を少し探索しました。
 高取町観光ガイドによれば、高取町のくすりの歴史は古く、飛鳥時代の西暦612年、推古天皇が聖徳太子や伴を率いて、高取の羽田の山野にて薬狩り(薬用になる鳥獣を狩る、薬草を摘む行事)を行ったと伝えられています。ここには、豊かな自然に恵まれ薬となる動植物類が、豊富にあったようです。
 江戸時代に入り高取城植村藩主が、江戸参勤の際、他の藩主に薬を贈り全国の販路拡大に貢献したようです。そして江戸中期頃から置き薬として各地を行商して歩くようになったようです。
 明治を迎えると、くすりを得意先に預け置き、次回訪問の時に使用した分だけ代金をいただく「先用後売」という独特な商法を用いた行商が行われるようになったようです。
 町並みは古く、蔵のある立派な瓦葺きの大きな家があちらこちらに見られます。商売の歴史と反映が伺われます。(観光ビジネス研究会 岡村 善裕)

travel_c3.jpg

Q1: 奈良県にある高取町はどの辺りにあるの?
A1: 高取町は、飛鳥地方にあります。場所としては、東大寺などがある奈良市より南にあり、橿原神宮よりさらに南にあります。最寄りの駅としては、「近鉄吉野線壺阪山駅」及び「近鉄吉野線市尾駅」があります。

Q2:万葉集や古事記・日本書紀で有名な飛鳥ですね。歴史の重みがあるね。古墳がたくさんあるんだよね。 
A2: はい、市尾墓山古墳、束明神古墳、キトラ古墳などがあります。
 キトラ古墳は、直径14m高さ3.3mで7世紀末から8世紀初頭に築造された横口式石槨の古墳です。内部の壁画は、天井に星座を表した天文図があります。また、北壁に亀に蛇がからまった”玄武”、東壁に”青竜”、南壁に”朱雀”、西壁に”白虎”と、それぞれの方位の守護神である”四神”が描かれています。キトラ古墳は、全国的にも有名な古墳です。

Q3: 城下町としても栄えたんだね。
A3: 高取町には、日本一の山城である高取城があります。“日本三大山城”の1つで比高がもっとも高い大和高取城(奈良県)、海抜がもっとも高い美濃岩村城(岐阜県)、建物が現存する中で最も高い山城である備中松山城(岡山県)です。
 ※比高とは、麓(ふもと)から本丸までの高低差で大きいほど一般的難攻不落と考えられています。
 高取城は、元弘2年(1332年)、南朝方に属した高取の豪族、越智八郎が築城しました。その後、郡山城主となった豊臣秀長の命を受け、天正13年(1583年)に本多氏が入城、近世的城郭として整備されました。本多氏が絶えた後、譜代の大名の植村家政が寛永17年(1640年)に入城しました。そして、明治2年(1869年)の版籍奉還まで、14代に渡り居城しました。

Q4: 古墳、お城と続いたので、有名なお寺などはあるの?
A4: 壺阪寺があります。壺阪寺は、真言宗の寺で、西国三十三所観音霊場の第六番札所です。そして、本尊十一面千手観世音菩薩は、目の観音様として全国から多くの参拝者が訪れています。
 創建は、寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりと言われています。
 壺阪寺は、南に桜の名所吉野山を控え、北に万葉のふるさと大和三山奈良盆地を一望におさめる壷阪の山に建っています。
 清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げています。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に壺阪寺に宿泊したという記録も残っているようです(1007年)

▲このページのトップに戻る